目次

1.競馬で勝つ為の基本事項
(1)期待値とは
(2)指数の説明

2.出馬表を見る
(1)過去のレースの閲覧方法
(2)メインタブ
(3)補助タブ
(4)コメントタブ
(5)期待値投票タブ

3.データを取得する
(1)JRA-VANデータの取得
(2)マイニングデータの取得
(3)STRIKE!指数(リアル、過去)の取得
(4)日刊コンピ指数の取得(2016年3月末で終了しました)
(5)外部指数のインポート(TARGET外部指数形式の場合)
(6)外部指数のインポート(馬王Zの場合)

4.出馬表から馬券を買う
(1)準備作業
(2)通常選択
(3)フォーメーション・ボックス
(4)馬券ナビゲーション
(5)期待値画面

5.馬券シミュレーションを行う
(1)馬券シミュレーションとは
(2)馬券シミュレーションを行う
(3)馬券シミュレーションの注意点
(4)シミュレーション馬券構成区分
(5)代用馬券とは
(6)的中率合計とは
(7)期待値合計とは
(8)評価値とは

(9)10分前予想オッズとは
(10)対象指数の選び方

6.自動運転を行う
(1)自動運転の設定方法
(2)自動運転条件の変更、削除
(3)自動運転条件の高度な変更
(4)自動運転の条件ファイルを保存、読み込み
(5)馬券シミュレーションで保存した内容を自動運転で読み込む
(6)RB☆STRIKE!指数とそれ以外の指数を混在させて自動運転を行う
(7)金額条件
(8)テストモードとは
(9)シミュレーション
(10)自動運転実行ログの見方
(11)自動運転のオプション(細かな設定)

7.オプションによる細かな設定
(1)オプション画面を開く
(2)レーシングビューアーでレースを見たい
(3)自動的に速報データを取得したい
(4)締め切り前にアラームを鳴らしたい
(5)出馬表画面、期待値画面の的中率、期待値で平均的中率で減算した数値で表示したい
(6)必要な馬券種類だけを期待値画面に表示したい
(7)適正馬体重のチェック方法を変更したい
(8)レース一覧で表示順のデフォルトを競馬場毎にしたい
(9)1着馬、2着馬、3着馬の的中率をそれぞれ異なる単勝率計算式を使用したい
(10)騎手、調教師の文字色を指定した勝率以上の場合に変更したい
(11)1レース中、買い目が複数的中しても的中数は1としたい
(12)指数の値をそのまま単勝率として使用する
(13)元の単勝率を調整する

8.用語説明
(1)期待値とは
(2)損益分岐点オッズとは
(3)合成オッズとは
(4)オッズの種類(予想オッズ、予測オッズ、リアルオッズ)
(5)統計単勝率とは
(6)変則単勝率とは
(7)単勝平均的中率とは
(8)平均的中率とは
(9)的中率の誤差とは
(10)的中率が平均的中率×n以上とは
(11)平均的中率の減算とは
(12)的中率買いとは
(13)均等払い戻しとは
(14)単勝率の計算方法とは
(15)充足率とは
(16)初出走、休み明け、初トラック、初距離、初コース、初状態とは
(17)控除率とは

9.WIN5を当てたい
(1)WIN5を的中させる方法を探す
(2)実際にWIN5を買う
(3)複数の口座で分けて買う、または点数を減らして買う

10.応用編
(1)指数を独自に補正したい
(2)独自指数を入力したい
(3)日刊コンピ指数とSTRIKE!指数を並べて表示したい
(4)各指数の精度を知りたい
(5)RB☆STRIKE!を遠隔操作したい
(6)IPAT投票で起こるスクリプトエラーを回避したい
(7)地方競馬でも使いたい
(8)オプティマイズバーを使用する
(9)オプティマイズ連動機能を使用して買い目抽出する
(10)重複買い目を除外する
(11)楽天投票を別アカウントで行う

11.RB☆STRIKE!指数について
(1)指数の成り立ち、作成方法について知りたい
(2)単勝率、連勝率、複勝率の計算方法を知りたい

12.その他
(1)POGの集計、ドラフト用リストを作りたい
(2)日刊コンピ指数を使ってレースパターン、断層などから儲かる方法を調べたい
(3)1口馬主で儲けたい

13.RB☆STRIKE!開発秘話
(1)開発者の生い立ち
(2)開発者馬券との格闘の日々

14.ソフトの使い方について直接指導を受けたい(2016年で終了しました)

 

ソフトの使い方について電話で質問したい

億の馬券術
平日の9:00~18:00
042-785-2647


13.RB☆STRIKE!開発秘話
(1)開発者の生い立ち

はじめに

 ギャンブルで永遠に稼ぎ続け巨万の富を得ることは、ギャンブラーであれば誰もが抱く夢なのかもしれません。
  しかしその夢に向かって研究を重ね戦略を練って挑んでも、大半の人が散財し夢破れてしまうのが現実です。ギャンブルが原因で借金苦になった、一家離散したという話はよく聞きますが、ギャンブルで大成したという話はなかなか聞きません。
  私ももとは、競馬の負け組でした。なんとか勝ち組になれないものかと日夜考えながら毎週競馬場に通い、給料のすべてを馬券につぎ込む生活をしていたのです。
  大きな転機はパソコンを購入したことでした。高校生の頃からの悪友のために指数を計算するプログラムを作成したことから始まって、寝ても覚めても競馬のことばかり、サラリーマン時代の余暇をすべて競馬研究に費やし、遂には競馬で固定収入を得ることに成功しました。
  馬券で儲け続けるということは、天性の勘や勝負運が強いということではなく、一般の人がやらないことをコツコツとやることで成り立っています。
  本書では、私が競馬で勝ち続けられるまでに至った経緯、手法を紹介します。
  競馬を趣味の1つとして楽しみ、サイフの中がプラスマイナスゼロで済めばタダで遊べたと満足する方、競馬は負けて当たり前だと思っている方には本書は向きません。以前の私がそうだったように、なんとかして競馬で勝ちたいと考えている方は、操作マニュアルを読んで『RB☆STRIKE!』を使いこなしていただくことで、馬券成績が確実に上がることを約束します。

 

エピソード1.少年ギャンブラー誕生

■初めてのギャンブル
  私が生涯で初めてやったギャンブルは、よく駄菓子屋などに置いてあったルーレットゲームだと思う。
  子供の背丈ほどの機械で、2、4,6、8、10、30の6種類の数字が記されたマスが円状に並んでいる(2がもっとも多く、30は1つだけ)。10円を入れて、6種類の数字のうちの1つに賭けてスタートボタンを押すと、ランプがピピピとマスに沿って回り始める。ランプが自分の賭けた数字と同じところで止まれば、その数字がそのまま倍率となってコインが払い戻されるという仕組みだ。
  子供ながらにその駆け引きにスリルを感じた。駄菓子を買うより、このルーレットゲームで遊ぶほうが断然面白かった。
  ただ漠然と10円を入れ続けたわけではない。どうすれば勝てるかと、いろいろ考えた。倍率の低い2倍に毎回賭けてみたり、30倍がしばらく出ていないと感じれば出るまで30倍に賭け続けてみたり……。いろいろ試してはみたものの、小遣いはすべて巻き上げられ、コインは一向に増えなかった。
  たまに2、4,6、8、10、30のすべてに賭けると、必ず「0」(総はずれ)になった。いま思えば「全点賭けすると、総はずれになるプログラム」だったのだろう。無知な子供に対してエゲツナイことをする機械である。
      ※        ※     
  証券会社に勤める父は転勤が多く、私は北関東を中心に3つの小学校と3つの中学校に通った転校生だった。
  土曜日は学校がお昼で終わる。帰宅すると家のテレビでは競馬中継をやっていた。意味はわからなかったがギャンブルに興味があったのでよく見ていた。近所にあったパチンコ屋も、前を通るたびに覗きこんだ。大人になったら絶対に2つをやってみようと思った。子供ながらに、どちらも研究すればルーレットゲームより勝ちやすいと感じたのだ。
  父に麻雀を教わったのは小学3年生の時だ。いわゆる家族麻雀で、母と弟を加えた4人で卓を囲む。お金は賭けなかったが点棒のやり取りだけでも楽しくて、父が「今日は麻雀やるぞ!」と言うと嬉しくてしかたなかった。
  いま考えると私は、勝負の駆け引きや高い役作り、振り込まないために捨て配を読むことなど、この時に教わった麻雀によって確率統計の基礎を学んだのかも知れない。
  そんな子供時代を過ごして、ついにちょっと大人に近づいた高校生になった。
  パソコンでプログラムを組みだしたのもこの頃で、自作のプログラムを雑誌に投稿し、その掲載料で小遣いを稼いでいた。学校の成績もまあまあ良かったので、このまま進めばゲーム会社(当時はまだどのゲーム会社も小さかったが、後に大手になる)あたりに就職していたかもしれないが、途中で道をそれてしまうことになる。

■麻雀ゲームで勝つ
  私には渡辺(仮名)という悪友がいた。同じ高校だったがクラスは3年とも違い、つながりはまったくなかったはずだった。
  当時、私は電車で通学していたのだが、駅前の喫茶店で仲間とひと休みしてから学校へ向かうことを日課としていた。
  その喫茶店には換金してくれる麻雀ゲームがあった。遅刻してはいけないと思いながら、その店の引力が強くてなかなか学校にたどり着けない、ということもしばしばだった。
  私と同じように、学校などそっちのけで麻雀ゲームに精を出していたのが、その渡辺である。
  このゲーム、1プレイは100円(1ベット)。満貫をあがると5ベット(500円)になる。私はもっぱら大きい役ばかり狙った。役満をあがると、なんと300ベット(3万円)。仮にあがれなくても、役満聴牌で終了ならラストチャンス(100円を入れてもう1回ツモれる)がある。これを必ず試した。なんとなくだが、1回のツモで役満をあがれる確率は300分の1以上と感じたからだ。
  だが、1回も役満をあがれずにマイナス収支。何度か負けると渡辺に台を譲るのだが、彼は満貫をコツコツあがり、毎日収支はプラスだった。
  ある日、渡辺の様子を見守ることにした。すると彼は、ドラをわざと切ってリーチをかけた。
「なぜ、ドラ切りリーチなんだい?」
  そう訊くと、渡辺はいう。
「ドラを持っているとハネ満になってしまうんだよ!」
  渡辺は、コンピュータとかプログラムとかはまったくわからないはずだったが、満貫より高い役を聴牌するとなぜかあがれない、ということを感じていたのである。彼によれば、満貫を連続してあがることもできないらしい。私にある程度金を注ぎ込ませた後でゲームを替わり満貫を狙う、というのが渡辺の考案した麻雀ゲーム機の勝ちかただったのだ。
  想像するに、このゲームは次のようなプログラムになっていたのだろう。
①ハネ満以上は、かなりの確率で制御されていてあがれない
②ある程度ベットがたまると、そのベットがゼロになるまであがれなくなる
  あのルーレットゲームほどではないが、これまたエゲツナイといえばエゲツナイ。そこで私と渡辺は、こんな対策を立てた。
  まず、5ベット以上たまったらこまめに換金してベットをゼロに戻す。満貫以上の役になったらわざと役を減らす。そして、ラストチャンスは決してしない。
  これが2人の必勝法となった。

エピソード2.パチンコ・パチスロ立ち回り術

■釘を読む高校生
  毎日コツコツと麻雀ゲームで稼いでいたのだが、ある時われわれは「パチンコならもっと効率良く稼げるのでは?」と話し合った。
  そこで、高校生の身ながら他の客の見よう見まねでパチンコを始めてみた。だが、あっという間に玉もお金もなくなってしまった。「これぞハイレベルの戦い」などといいながら、2人はパチンコの攻略に熱中した。
  同じ店に毎日通い続けると、その店のクセがわかってくる。入口から3台目までに必ず、やたらと玉が出て「打ち止め」にできる台があることがわかった。「打ち止め台」は店でいちばん目立つところにあり、入店して来る客の射幸心を煽るために存在していた。
  ただし、ひと目では見破られないように店側も工夫する。当時のパチンコは釘の調整で出玉を管理していて、チャッカー(入賞口)のすぐ手前の釘が大きく開いている台がいいように思えるが、これはおとり台。チャッカーはおろか、その手前の釘にすら、なかなか玉はたどり着かない。実はチャッカー口付近に玉を誘導する、ずうっと上の方にある釘で出玉を調整しているのだ。
  一見すると出るように思えるのが出ない台で、出ないように見えるのが出る台。私と渡辺は裏の裏を読んで、チャッカー口付近の釘がいちばん狭くなっている台が「打ち止め台」になる可能性が高いはずと、そんな台を探した。毎日見ていると釘の並びは覚えてしまい、どの台が回収台に替わってどの台が開放台になったのか、すぐにわかるようになった。
  ある日、私はめずらしく真面目に授業を受けていたのだが、渡辺は学校に来ていないらしかった。学校が終わって早速いつものパチンコ店へ渡辺を探しに行くと、彼の姿は見当たらない。あきらめて帰ろうとした時、彼をスロットコーナーで見つけた。
  それまで、われわれにとってパチスロはコイン1枚20円、1ゲーム3枚賭け(60円)という、さらにハイレベルの戦いだった。興味はあったが、到底手を出せる代物ではなかったのだ。
  彼に話しかけてみると、午前中のうちにパチンコ1台を「打ち止め」にし、それを元手にスロットに勝負してみたとのことだった。
  人間、いったんレートを上げると元に戻すことができない。この日を境に、2人はパチスロコーナーへと戦場を移すことになった。

■必勝法習得でパチスロ三昧
  訳もわからず始めたパチスロ。1000円は5分足らずでなくなり、1万円も30分で消えた。1枚賭けでやってみた、逆からボタンを押して止めてみた、思いっきり力を入れてレバーを叩いてみた……。何をやっても「777」は揃わなかった。
「入らないと揃わないよ!」
「入る? 何それ?」
  渡辺は、パチスロ機の内部ではレバーを叩くたびに抽選がおこなわれ、「ビッグボーナス」の抽選に当たってはじめて「777」が揃ってもいい状態になるのだという。これを「フラグが立つ」と呼ぶ。
  フラグさえ立てば、何回か回しているうちに「777」が揃うはずなのだが、なかなかそこまで上手くいかない。ところがある時、隣のおじさんの台にフラグが立つ前兆の目が出現した。しかしおじさんはコインがなくなり、帰ってしまった。私は即座に、ハイエナのようにその台へ移動。ほどなく「777」に出会うことができた。
  いっぽう渡辺はある日突然、回転しているスロットのドラムに赤い「7」が見えるといい始めた(渡辺はそういう感性が私より優れていた)。それを狙ってボタンを押せば「777」を揃えやすい、というわけだ。いまでこそ当たり前となった「目押し」だが、当時はまだできる人はその店にいなかった。私は習得に時間がかかったが、渡辺はすぐにマスターした。
  こうしてハイエナ戦法と目押しに味をしめた2人は、空いている台を探して店の端から端まで移動した。もちろん狙いは、フラグが立っている台。私と渡辺は空き台を競って取り合いながら目押しをした。いつの間にか私たちは、パチスロで少々勝てる(少なくとも負けない)くらいのテクニックを身につけたのだった。
  そんなことをしているうちに高校卒業の季節になっていた。同級生が毎日一生懸命受験勉強をしている中で、私たち2人はパチスロの勉強をしている。当然成績は下降していった。友だちは進学や就職を決めていくのに、私と渡辺には何も目標がなかった。私は手っ取り早く予備校に通うことにした。料理に興味を持っていた渡辺は調理師学校へ進んだ。
  当時、私が住んでいたのは栃木県。埼玉県大宮市にある予備校まで電車で通うのだが、駅から予備校までの道には数件のパチンコ店がある。その中に1件、モーニングサービスを実施している新装開店の店があった。目押しをするだけで簡単に勝たせてくれた。予備校へ行くといって毎日家を出るが、通うのはそのパチンコ店だ。私はまたしてもギャンブルの誘惑に勝てなかったのだ。トホホ。

■連戦連勝の落とし穴
  新宿の調理師学校に通う渡辺から電話があった。行きつけのパチンコ店の話をすると、次の日、渡辺は早速やって来た。2人は狂ったように出し続け、23時の閉店時間までに5万円ずつくらい勝った。
「明日も朝から来ような!」
  大金を手にし、なおかつ2人なら気は大きくなる。パチンコ店の上の階にはカプセルホテルがあった。「泊まって行こうか?」と渡辺がいう。確かに、どうせ明日の朝もここでパチンコを打つのだから、家に帰るのは面倒だ。

が、いま思うと、これは悪魔のひとことだったのかも知れない……。
  新しいカプセルホテルは大浴場もキレイで居心地が良かった。パチスロは連戦連勝で持ち金は増える。家に帰らない日が、とうとう1か月にもなってしまった。
「捜索願いが出ているんじゃないか?」
  そう話し合いながらも、お互い家には連絡しないでズルズルとカプセルホテル生活を続けた。初めて飲み屋やライブハウスにも行き、パチンコ店で知り合った男に合コンをセッティングしてもらったりなど刺激的な毎日で、あっという間に時は経った。
  そんな生活も、終わりを迎える。その日、男が大声をあげながら店に入って来て、大きな釘抜きでスロット台を壊し始めた。もうひとり別の男がバケツに入った糞尿を店じゅうにまき始める。当然、店内はパニックになり客は外へと逃げた。後で知った話だが、店が「みかじめ料」をその筋の方に払わなかったのが原因らしく嫌がらせを受けたのだ。
  店は次の日からシャッターが閉まったままになった。お金はあったので次の日から別の店へ行くことにした。家には連絡していないので帰り辛い。私たちは相変わらずハイエナ目押し戦法で出しまくった。するとすぐにその筋の方に店の裏へと呼ばれ、一発殴られて「もうこの店に来てはいけない」といわれた。しかたなく移った次の店でも同じ目にあった。
  ハイエナ目押し戦法はやり辛くなった。目立つのだ。目立たないように1つの台で打つと当然負けが多くなる。2人から一時の勢いは消えていく。
  ついには、私が1万円、渡辺は5000円しか持っていないという状況となった。

エピソード3.麻雀&パチスロ連勝の日々

■窮地を救ったのは、カモ
  神奈川県の厚木に友達がいると渡辺がいうので、そこへ行くことにした。弁当とジュースとタバコを買い、電車賃を引いたら6000円しか残らなかった。
  渡辺の友達は大学の寮に住んでいて、6畳一間に3人で暮らすことになった。風呂・トイレは共同だったが、寮生活は新鮮で楽しかった。
  大学の前に1件パチンコ屋があった。田舎のパチンコ屋は客もなくガラガラで、いかにも出なさそうだった。しかしある日の朝、なけなしの5000円を持って私は「勝負に出る」といって寮を出た。渡辺はタバコが買えなくなるからやめろといったが振り切った。勝てる根拠は何もなかったが、なぜか自信があった。
  まずは1000円でメダルを買い、カニ歩きしながら1台ずつ目押しをして歩いた、レギュラー(125枚出る。換金すれば2000円程度)2つとビッグ(換金すれば1万円ほど)を1つ拾い、さらにビッグが連荘して、30分で1万4000円になった。
  もうハイエナできる台は残っていなかったが、店に来て30分で帰る気にはなれなかったので、いちばん出そうな台に座った。だが、8000円使ってレギュラー1回のみ。この時点で手元には1万1000円残っていた。
  よし、まだある。ビッグを引くまで打とうと決めた。が、持ち金が少ないと心細くなる。財布から1000円を出すごとに汗も出た。そして最後の1000円を出した時、私の負けが確定した。その台の天井(その台に一定の金を注ぎ込むとビッグが必ず出るという、その上限)は2万2000円だったが、私の投入金合計は1万9000円で、少し足りない。もう負けるとわかっていながらも、その1000円を打たずにいられなかった。
  私には、ついにタバコを買う金もなくなった。渡辺の友達が自炊してくれたので飢え死にすることはなかったが、文無しというのは何もできない。時間だけがタップリとあった。
「そうだ麻雀をやろう」と渡辺がいった。
「文無しどうしで麻雀をやってどうするんだよ」
「弱い相手を入れて金を巻き上げればいいんだよ!」
「でも、もし負けたらどうする? 金はないんだぜ」
  そんな会話が続いた結果、私たちは以下のような結論を出した。
①私、渡辺、家主の3人対カモ1人の勝負
②一発賞や裏ドラ賞はなし(ツキによりカモに大勝ちさせないため)
③カモには絶対にトップ賞(2万4000点持ちの3万点返しで、1位が6000点×4をもらうルール)を取らせない
  問題は③.カモに絶対にトップ賞を取らせないためにはどうすればいいんだ? そこでルールが加えられることになる。
④3人のうち誰かが聴牌したら必ず知らせること(右端の牌1つを離して縦に置いたらピンズの1―4―7で2つ離したら、2―5―8、横に置いたらソウズ、という感じ)
⑤ダマテンなら明日の話をして告知すること(「明日は天気かな~」とか)
⑥聴牌後はカモが振り込むまで待ち、仲間どうしでは振り込まないこと
⑦ただしカモが聴牌したら、聴牌している3人のうちの誰かにすぐ振り込むこと
⑧カモが万一トップに立ったら、2位のメンバーがリーチした時点で必ず一発で振り込み、カモを2着にすること
  1日目は4年生の金持ち先輩を家主が連れてきた。夜の9時から朝の7時までやって、その先輩を1万1000円負かした。2日目は同級生の中でも仕送りが多い奴を呼んで、9000円巻き上げた。順調ではあったが、ギャンブルじゃない麻雀は楽しくなかったし、

食うための金儲けとはいえ騙すことには心が痛んだ。
  ふた晩で儲けた2万円を3人で分け、1人あたり6800円。渡辺はさらに静岡にいる友達のところへ行くといったが、私はその6800円を電車賃にして家へ帰ることにした。

■あらためてパチスロ開眼
  2か月ぶりに家へ帰った。予備校に行くといって出かけてから2か月間、一度も連絡していなかったので捜索願いでも出しているだろうかと思いながら栃木に向かった。
  母は「あら、お帰り!」と、あっけなく私を出迎えた。後で聞いた話だが、高校の名簿に載っている友人すべてに電話して、私が渡辺と一緒にいるだろうと踏んでいたそうだ。
  私は「改心して明日からちゃんと予備校に行くよ」といったが、母は「もうすぐ夏休みだから来学期からにすれば」という。
  渡辺の「泊まって行こうか?」が悪魔のひとことだったとすれば、母のこの言葉は、私がギャンブラーへの道を歩むことを確定させてしまったものだったと思う。
  人間、楽なほうに流れてしまう。私はとりあえず近所のパチンコ店へ行った。大宮の店でやったことのあるパチスロ台があったが、持ち金が少なかったので、よく観察し、作戦を練ってから勝負することにした。
  その台の特性は、次のようなものであることがわかった。
①7000円以内で必ずレギュラーボーナス(両替して2000円くらい)、またはビッグボーナス(6000円くらい)が出る
②2万2000円が天井で、そこまでに必ずビッグボーナスが出る
③13ゲーム(39枚)で必ず15枚の子役が出る
④設定により、3000ゲームあたりで出るビッグボーナスの数が決められている
  以上を踏まえて私が考えた攻略ルールは次のようなものだった。
(1)特性①に対する攻略
  誰かが5000円以上打っていて、その間にレギュラーボーナスやビッグボーナスが出ていない台で打つ。レギュラーボーナスまたはビッグボーナスが出たら、即ヤメ
(2)特性②に対する攻略
  天井の2万2000円-ビッグボーナス分の6000円=1万6000円分打ってあってビッグボーナスが出ていない台は、ビッグボーナスが出るまで打ち、即ヤメ
(3)特性③に対する攻略
  39枚(13ゲーム)-15枚(5ゲーム)=24枚(8ゲーム)以上打っていて子役が出ていない台は、15枚の子役が出るまで打ち、即ヤメ
(4)特性④に対する攻略
  天井に近いゲーム数でばかりビッグボーナスが出ている台は、ビッグボーナスが連荘するまで打つ
  当時のパチスロ台はクジ引き方式の乱数で動作していた。つまり、箱の中からクジを引く感じで、クジの数と当たりの数があらかじめ決められているのだ。
  たとえば3000個(3000ゲーム)あるクジに当たりが10個入っているとする。もし2000個のクジを引いた時点で当たりが1個しか出ていないとしたら、残り1000個のクジの中に当たりが9個、確実に入っていることになるわけだ。
  現在ではこうした「天井狙い」などは当たり前のことだが、当時は目押しができる人もいない時代で、現在のようにパチンコ雑誌もほとんどなかった。私が編み出した戦法は画期的だったのだ。前記のような台が空いていない時は絶対に打たないと心に決め、また以前の教訓からハデに出さないよう心がけた。
  毎日毎日パチンコ屋に通って儲け続けた。毎日行くわけだから出入り禁止にされてしまうと困る。コインを積み上げることなどもってのほかで、大勝ちを目立たなくするため、こまめに両替したり、連荘でもわざとトイレに行って時間を空けたりと大変だった。
  このルールで私のサイフは膨れていった。いちばん儲からなかった日でもプラス4万円、儲かった時は1日13万円。平均すると1日に7~8万円くらいだったろう。大きめのサイフを持っていたが、たった4日で札が入り切らなくなった。当時はキャッシュカードを持っていなかったので、お金の置き場所には困った。机に入れておけば母親に見つかるかも知れない。考えたあげく、自分の部屋の壁にある隙間に入れておいた。
  運の悪いことに、2階にある私の部屋はベランダに面していて、母が洗濯物を干す時に通る。ある日、私の留守中に、母が洗濯物を干して、ベランダの窓を開けたまま1階へ降りてしまった。洗濯物を取り込もうとふたたび2階へ上がった時、母は驚いた。私の部屋じゅうに1万円札が散らばっていたのだから。隠しておいたお金が風で舞い飛んだのだ。
  帰ってくるなり、私は札束の訳を問いただされた。パチスロで儲かったといったが信じてはもらえない。予備校生の部屋に100万円以上散らばっていたのだから無理もない。結局、信じてもらえるまで2週間かかった。
  その後、母にキャッシュカードを作ってもらったのだが、すぐに口座の残高は数百万円になった。母に「近所にいい土地があるから買えば」といわれたが買わなかった。2年後にその土地の値段が10倍になったと聞いて後悔したものだ。
  いつも朝10時から夜10時まで打った。毎日通うので店じゅうの台の状態がわかった。店員さんとのコミニケーションにも気をつかい、ヒマそうな時は雑談したり、ジュースを買ってきてあげたりもした。仲のいい店員さんは、私のことを「おい、メガネ」と呼び、いっしょに飲みに行ったり、麻雀を打ったり。
  半年で1000万円以上儲かった。当時はバブルの全盛期で、いい株を買うように父から勧められた。どうやら父は、私に経済について興味を持って欲しかったらしいが、当時の私は毎日10万円近く稼いでいたので、さらなる金儲けには興味を抱けなかった。
  お金の使い道がほかになかったので車を買った。運転が面白く、調子に乗って外車ばかり3台も買ってしまった。車があると行動範囲がさらに広がり、
遠くのパチンコ店にも遠征した。いろいろな店に行ったが、店ごとに私のような専属プロがいてやり辛く、結局いつもの店に戻ってきた。

エピソード4.そして競馬漬けの生活へ

■勢いが止まった日
  毎日12時間もパチスロを打ち続けると腕や腰が痛くなる。でも、お金のために打ち続ける。こうなってくるともはやギャンブルではなく、お金を得る手段、労働になっていった。儲かるといっても労働は苦痛で、パチンコ店から次第に足が遠のいていった。
  この時期はよく、パチンコ屋の店員さんにスナックなどに連れて行ってもらった。同世代の若い女の子がいて楽しかった。高いブランドのスーツを買った。外車も高級なやつに買い替えた。高い時計やライターも買った。サイフに100万くらい入れてクラブを飲み歩いた。酒の味などわからなかったがいちばん高いボトルを入れた。楽しかったので市内の店にはほとんど行ってみた。勢いに乗って六本木の高級店にも遠征した。ヘネシーとオールドしかなかったのでヘネシーを頼んだ。4人で2時間いて会計は70万円だった。
  悪銭身につかず。こうしてパチスロ貯金をかなりのスピードで使った。減った貯金を補充するためにしょうがなくパチンコ店に行った。いつの間にか店のパチスロ台が入れ替わっていた。台の勝手が違うから当然勝てない。機械の抽選方式も「くじ引き方式」から「完全確率方式」に変わっていた。「完全確率方式」とは、クジを引いた後でそのクジをまた箱に戻すような方式だ。
  もう私の必勝法は通用しなかった。
  そんな頃のある朝、父の勤めている証券会社が上場することを聞いた。父は入社以来コツコツ自社株を買い、その数は10万株になっていた。上場して間もなく1株2800円になり、父の持ち株は2億8000万円になった。ゴルフ好きの父はゴルフ場の会員権もいくつか持っていたが、うち1つは100万円くらいで買ったものが7000万円になったという。それ以外のものもかなりの価値になったらしい。仲谷家はバブルに沸いた。

勢いに乗って、売りに出ていた裏の家を買った。新しいゴルフ場ができるからその会員権を800万円で買うともいう。2年後には2400万円になる予定なのでお前も買えといわれた。買いたかったが、その時の私はもう800万円も持っていなかった。パチスロという収入源もなくなってしまっている。
「金はどんどん仲間を作る。増やしたければ消耗品に使ってはいけない」
  父はそういったが、私が金を使ったブランド物、車、飲み代はすべて消耗品だった。値上がりすることはないのだ。

■上京、1990年秋
  父の会社がコンピュータ関連の子会社を作るという。無収入の私はその場で就職する意思を決めて(もちろん、高卒の私はコネ入社である)1週間後には東京へ引っ越した。
  東京は何もかもが新鮮だった。人が多いし、何でもあった。仕事もコンピュータの勉強になった。初めて担当したのは、売買審査システム(インサイダー取引調査)だった。数か月の開発期間後、システムは無事運用され始め、サラリーマン生活は順調な滑り出しになった。
  当時は競馬ブームで、会社にも競馬好きは多かった。その年の暮れ、夕方になると有馬記念の出馬表が回覧されてきた。私もオグリキャップの馬名だけは知っていた。強い馬と聞いていたが△が少し付いている程度だった。
  誰かが代表で買いに行くようで、みな名前と買い目と金額を書いている。私もお付き合いで1000円ずつ2点書き込んだ。以前テレビで「4番人気が、いちばん負けない」と聞いたことがあったので、4番人気らしいオサイチジョージから買った(ウソもいいところだが、実際の単勝4番人気はオグリキャップだった)。
  馬券を買うと実況中継を見たくなる。テレビで競馬中継を見たのは子供の頃以来だ。結果は皆さんご存知の通り、オグリキャップの復活。馬券は外れたが興奮した。中央競馬に興味を持った瞬間だった。
  年が明け、会社の競馬好きの人に競馬場へと連れて行ってもらった。実はそれ以前にも競馬場へは行ったことがある。パチプロ時代、非番の店員さんから競馬に誘われたのだ。ただし中央競馬ではなく地元の宇都宮競馬場で、これが私の競馬デビューだった。
  その時に初めて買った馬券は枠連の7-8。理由は7枠、8枠とも2頭ずついて、他の枠より来る確率が高いような気がしたからだ。競馬を全然わかっていなかったが、結果は的中。なんと9280円もついた。1000円が一瞬で9万2800円になった。後で知ったことだが、断然の有力馬は内枠にいて、私は何の考えもなく馬券を買って的中させたのだった。
  その日は、他に3レース的中して15万円くらい儲かった。しかし、この時の私は競馬にハマらなかった。なぜなら近所のパチンコ屋に行けば確実に10万近く儲かるからだ。手元には2000万円近い金があり、使い道がない。株や競馬で儲ける必要はないし、あえて危険を冒す必要はまったくないと考えたのだった。
  が、いまや私はしがないサラリーマンである。
  宇都宮競馬場のイメージとは大違いで、中山競馬場は別世界だった。当時新設されたばかりの近代的設備に圧倒された。その中で楽しむギャンブル。数分でサイフから金が入ったり出たりしたのは刺激的だった。当時まだ東京には友達がいなかったので、土日はひとりで競馬場に通う日々が始まったのは自然な流れだった。
  金曜日、会社帰りに競馬新聞を買う。電車の中でじっくり検討しながら帰る。検討といってもコメントを読んだり印の付き具合を見たりする程度でたいした理論はなかった。

1日に持っていく金額は3万円。新聞の予想欄のいちばん上に書いてあるような本命寄りの馬券が好きで、かつ心配症なので押さえ馬券も必ず買った。第1レースから出勤して最終レースまで必ず競馬場にいたが、12レース終了後、サイフの中身は電車賃と翌日の新聞代のみ。競馬場の出口で日曜日の新聞を買い、検討しながら帰った。会社の寮は、千葉の柏にあった。駅前のATMで明日の軍資金3万円をおろして帰宅。日曜日も同じように12レースまで真剣勝負した。
  月曜日、会社で競馬好きな人から「昨日はどうだった」と聞かれ、毎週「ダメでした」と答えた。たまには「大勝ちしました」と答えたいものだが、毎週毎週、帰る時にはサイフは必ずカラで、お金を持って帰れるのは最終レースが当たった時だけだった。

■負け続ける理由
  競馬もパチンコも基本的に胴元が儲かり、客が損をするのはわかっていた。しかしパチンコはたまたま座った台がいいだけでも勝てたが、競馬は負け続けなので不思議だった。普通の人はここで「競馬は儲からない」と結論を出してやめてしまうが、私は毎週競馬場に通い続けた。そして2年間負け続けた時、ようやく「負ける理由」に気づいた。
  わかりやすくするため、まずはサイコロを例にとって話そう。Aさん~Fさんの6人が集まり、100円ずつ出し合って、誰かがサイコロを振る。1が出たら集まった600円をAさんがもらい、2が出たらBさん、3ならCさん……と決める。1~6の目の出る確率はどれも同じ6分の1であり、このゲーム、ちょっと考えれば、長くやればやるほど参加者の収支はプラスマイナス・ゼロ、回収率は100%に近づいていくはずだということがわかるだろう。
  ところがここに、サイコロ振り専門の7人目が参加するとしよう。この7人目は100円を出さず、逆にサイコロを振る手数料として150円をいただくという。つまり、自分の目が出た時にAさん~Fさんがもらえるのは450円になる。これではAさん~Fさんにとっては、やればやるだけマイナス、回収率は平均して75%になり、儲かるのは7人目の人物だけ。
  実は、これが競馬なのだ。サイコロを振る役目はもちろん競馬主催者。JRAの場合、競馬開催の運営費などとして、われわれが賭けたお金から約25%を「控除率」として差っ引き、残りを払い戻しに充てている。
  私の1日の軍資金は3万円だが、1レースあたり5000円~1万円くらい馬券を買っていた。本命寄りなので、それでも最終レースまでもったが、荒れている日は午後にお金がなくなることもある。そんな時は競馬場の外にあるATMまで走った。最終レースでは、それまで負けた金額を取り返すために有り金を賭けた。1日の投資金額は、出たり入ったりで平均12万円くらいだったろう。競馬の控除率は25%なので、12万円×25%=3万円が胴元のJRAに取られる計算だ。つまり毎回3万円負けて当たり前だったのである。
  馬券の回収率は、控除率25%を差し引いた75%が平均的な値で、レースを繰り返すごとにこの値へと近づいていく。このことを数学では「大数の法則」といい、私のようにオッズの低い本命寄り馬券で12レースほぼ均等に投票すると、より早く回収率75%に収束しやすいという特徴がある。私は多数の競馬ファンと同じように競馬新聞で予想しているため、回収率は「大数の法則」通り75%に近づいていたのだった。このことに気がつくまでに、私は2年間もかかってしまったのだ。

■どうしても勝ちたい
  思えば子供の頃の私は、負けて当たり前のプログラムが組まれているとは知らずに、ルーレットゲームの必勝法を模索した。他の子がやっているのを見て出た目をメモしておき、「30」が30回連続で出なかった時点で、私の出番。そろそろ来る頃だから「30」が出るまで賭け続けようという理論で、子供心には万全だと思えた。軍資金、つまり1か月のお小遣いは300円。それを使い果たす30回以内に「30」が出れば作戦成功だ。自信満々で挑んだが、結果は惨敗。30回賭け続けたがついに「30」は出現せず軍資金は尽き、私が賭けるのをやめた途端に「30」が出続けた。
  では2月分の小遣いをためて軍資金を増やしたらどうか? 「30」が40回出ない時点で賭け始めたら……。いろいろ試したが、結果はいつも同じだった。
  競馬も負けて当然の仕組みを持つが、私は勝ちたかった。パチスロと同じように必勝法を見つけたかった。パチスロ機はプログラムが変わってしまったら一からやり直しだが、競馬は一生変わらない。パチスロは一日じゅう打ち続けなければならないが、競馬は朝一番で馬券さえ買っておけば別の好きなこともできる。パチスロは大勝ちしてもせいぜい数十万円程度。競馬なら投資金額によっては100万、1000万円も狙える。大勝ちすれば家だって買えるかも知れない。そんなことを考えながら日々を過ごしていた。
  平日はスポーツ新聞の競馬欄を読みながら通勤した。競馬本も読み漁った。特にWINS後楽園の近くにある山下書店は競馬関係書籍の在庫が豊富で、競馬の帰りに足しげく通い勉強させてもらった。
  いちばんくだらなかったのは、いわゆるサイン馬券の本で、これはいただけなかった。しかし「サイン本」は売れ筋だという。いろいろ考えて、ある結論に達した。先に述べた通り、特別な予想理論を持たない限り「大数の法則」によって回収率は75%に収束する。この収束を避けるなら
①極端な大穴狙いをすること
②買い目を少なくすること

この2つが必要だ。こうすると、一度当たれば回収率は大きく跳ね上がり、75%に収束するまで時間がかかるようになる。最終的にはマイナスになるのだが、それまでが長いので回収率がいいような錯覚を起こすのだ。サイン馬券はこの条件に一致しているからファンも多くいるのだと思った。
  こんなこともあった。WINS銀座からの帰り道、人だかりができている。
「元出が3000円だけあればいい予想法だよ~。話が終わった後でこの本をあげるからこっちおいで~」
  オヤジは本(といっても数ページの小冊子だったが)を配り、解説を始めた。
「昨日の東京第1レースは4-5が来た。そうしたらまず4-5の緑と黄色のページを開くんだ。このページに『2レース 1-3、3レース 5-8、4レース 7-8』と書いてあるだろ? この買い目を1000円ずつ買うんだ。ええっと、昨日の第2レースは何が来た?」
  たまたま横にいる男にオヤジが訊くと、その男は「3-4」と答える。
「外れか~、残念~。3レースは?」
「5-8」
「はい、おめでとう! いくらついた?」
「1020円」
「はい、これで元の3000円が1万200円になった! 4レースは?」
「6-8」
「残念~。でもいいや、3000円が1万200円になったんだから。そうしたらこの1万200円を3等分して3400円。これを次のレースに賭けるんだ。何て書いてある?」
  配られた本を持った男が答える。
「5レース 1-3、6レース 4-7、7レース 2-8と書いてあります」
「じゃあ、その3点に3400円ずつ賭けるんだ~。昨日の7レースは2-8が入って2480円! これで3400円が8万4320円になった! この8万4320円をまた3等分して、本に書いてある通りに賭けるんだ。割り切れない端数は買わなくていいよ~」
  私も周りの人も半信半偽でちょっと出来過ぎだなと思いながら聞いている。そこに突然、横から老人が割って入ってきた。
「中京はどうなんだい?」
  予想屋のオヤジ、顔が一瞬こわばった。
「ここは関東だからね、関西はこの本ではダメだ。第一、中京の馬券は買えないだろ~。それに中京の結果をオレは知らないよ~」
  必要以上に抵抗するオヤジ。いつしかギャラリーも増えてきた。
「えっ、昨日の中京の結果をあんた持ってるの? じゃ、じゃあしょうがねえな~。1レースは何が来たんだ? 2-5? そうしたら2-5のページを開く。2レース不的中、3レースは的中560円! 4レースは不的中……」
  先ほどと同じように払戻しを3等分して賭け続け、元手を増やしていくオヤジの馬券術。
「5レース的中1820円! 6レース不的中、7レース不的中……。えっと、続いて『8レース 1-2、9レース 3-5 10レース 2-8』を1万900円ずつ買う、と。8レース不的中、9レースも惜しい、不的中。もし10レースも外れても、はじめの3000円の損だけ~。3000円で1日遊べるんだから安いもんだ~」
  外れることを前提にオヤジは、必要以上に言い訳をする。
「で、10レースは何が来たんだ?」
  老人が「2-8」というと、オヤジはベニヤ板の机を大きく叩き、これまででいちばん大きな声で「的中!」と叫んだ。
「いくらついたんだ?」
「4580円」
「たった3000円が1日で49万9220円だ! 万が一、外れても3000円のマイナスだけ! それが49万9220円! 普段は6万円で売ってるこの本を、今日だけ特別に3万円!」
  ギャラリーのひとりが「買った!」と叫ぶと、続いてギャラリーその2が「早くオレにくれ!」、ギャラリー3も「買った!」、ギャラリー4が「下さい!」……。
  結論からいうと、このような出目の必勝法などこの世にない。このオヤジ、独特のサギテクニックを使っているのだ。
  まず、最初に出てきた「たまたま横にいる男」は仲間で、次に「中京の老人」も実は仲間。さらに「買った!」と声をかけたギャラリー1、ギャラリー2も仲間で、ギャラリー3と4だけがカモ。悪質な輩は、その日の10レース終了後に近くに止めてあるワゴンでこうした本を刷り、メインレース終了後に売ることもある。こんな上手い話はないので注意していただきたい。
  が、みんな勝ちたいと思っているから、こういう話に引っかかるのだ。

エピソード5.必勝法を探して

■初の独自理論作成、だが……
  確か「競馬最強の法則」を買い始めたのもこの頃だった。『バージョン8』という予想法が掲載されていた時期だ。
  これは、前走1着なら係数いくつ、1番人気ならいくつ、父がノーザンテーストならいくつ……と、まずは馬ごとの能力値を決定、この値を加算して枠ごとの能力順を決定するという内容だったと思う。さらに枠番の能力順1番目と2番目の組み合わせが何回出ていないから買い続けるとか、1番目と4番目の組み合わせが何回出てないから買うといった方法論だった。出目理論の一種といえるが、読んだ瞬間に「これなら勝てる」と考え、私はすぐに『バージョン8』の単行本を買い求めたのだった。
  いざ競馬新聞に赤ペンで本の通り能力順を書き込んでいくと、1レース計算するのに1時間近くかかった。4レースまで終わったところで3時間以上経過。だんだんイライラしてきた。そもそも本に書いてある「前走、競走条件に関係なく着順1位だったらプラス*点」って何なんだ? 競走条件が関係ないわけないだろう。馬連時代に枠連というのも気に入らない。
  そこで『バージョン8』をそのまま採用することは中止して、独自にアレンジをすることにした。

○仲谷式出目理論○
①馬連が対象
枠連より馬連のほうが能力比較をしやすく、オッズも高いので効率がいいと考えた。
②出走頭数ごとに買いかたを変える
たとえば能力値1番目と6番目の組み合わせを狙う時、6頭立ての6番目(シンガリ)と18頭立ての6番目では意味が違うはずだ。
③能力比較には単勝人気を使う
単勝人気順こそが競走馬の実力を量るバロメータである。能力評価の計算時間を省略したいという考えもあった。
④1番人気から6番人気までの組み合わせを対象に、出ていない回数を調べた。

競馬場には、過去3週間でどの目が出ていないかを出走頭数別に調べたメモを持って行った。たとえば、こんな感じだ。

10頭立ての場合
人気出目 出現していない回数
1-2 5R
1-3 4R
1-4 13R
1-5 9R
1-6 20R
2-3 12R
2-4 2R
2-5 17R
2-6 15R
3-4 28R
・・・

10頭立てのレースでは1番人気と4番人気の組み合わせが13レースも出現していない、これを狙えばそろそろ来るだろう、というように実践した。以前に比べて買い目は1レースあたり1点とか2点で、当たった時は大きかった。
一時的に「これは儲かる」と錯覚したが、トータルの収支はまだまだマイナスで、給与やパチスロ時代の貯蓄を食い潰していく日々だった。いま思うとサイン馬券と同じで、点数が少ないぶん回収率の収束スピードが遅くなっただけだったのだと思う。そもそもこの方法はオッズ(単勝人気)で買い目を選ぶ理論であり、その時点で回収率が75%へと近づいていく宿命を持つのである。

■最強兵器・パソコン購入
この人気出目システムを実践した結果、以下のような問題に突き当たった

①どの人気出目が何回来ていない時に買えばいいのかがわからない。
②1番人気と4番人気の組み合わせを買ったつもりだが、オッズが変わってしまい、確定後には1番人気と5番人気の組み合わせになっていた。

問題①については、シミュレーションしてみるしかなかった。たとえば「10頭立てで1番人気と4番人気の組み合わせが10回来ていない時に買った場合の収支、11回来てない場合、12回来てない場合……と調べていくわけだ。気が遠くなるような組み合わせ数だ。
②に対する解決策として、単勝人気に代わるものを探した。ちょうど日刊スポーツの競馬面には「専門紙チェック」という欄がある。これは関東で売られている専門紙10紙の本紙印を集計したものだ。なんとかこれを利用できないかと考えた。
  各紙の◎が集中している馬はほとんど1番人気になる。こういう馬は圧倒的な能力値1位とわかるが、じゃあ▲が5つの馬と△が10個の馬とではどちらの能力が高いのだろうか? これについてもシミュレーションしてみるしかなかった。◎1つにつき5点、○は3点、▲は2点、△は1点として能力値を計算すればいいのか、それとも◎は4点がいいのか……。
考えに考えた結果、手作業ではもう限界であると判断し、高校生の時以来のパソコン購入を決意した。馬券以外でお金を使うのは久しぶりだったので勇気がいった。馬券で1か月20万円負けても平気なのに、20万円の買い物は不思議に勇気が必要なのだ。ギャンブルが金銭感覚をおかしくしていると思った。
  日刊スポーツは1991年分から取ってあったので、まずは「専門紙チェック」を打ち込んだ。打ち込み用プログラムは自分で作った。作るのは3週間ぐらいで可能だったが、データ入力は大変だった。会社から21時頃に帰って、寝る間を惜しんでコツコツ打ち込んだ。1か月かかってようやく1年分を打ち終えた。早速シミレーションしてみるとデータ数が足りず、急いで1992年分も打ち込んだ。競馬で勝ちたいという精神力だけで打ち込み作業を続けた。
  日刊スポーツには「日刊コンピ」という能力値も載っていたのでそちらも一応打ち込んでシミュレーションしたが、どうやら「専門紙チェック」から算出した能力評価値のほうが的中率・回収率ともに高かったのでこちらを採用した。

○仲谷式専門紙チェック得点方式○
印 得点
◎ 10点
○ 3・3点
▲ 2・2点
△ 1・1点

これで競走馬の能力は、◎10個で100点満点の馬から印なしで0点の馬までしっかり評価される。これなら完璧と自慢のシステムだった。
  半年以上このシステムを稼動させたが、結局成果は出なかった。私はまたも大きな勘違いをしていたのだ。そのことに気がつくまで1年間もかかってしまった。

■この方法では勝てない!
カジノにあるルーレットで赤が6回連続で来たら「そろそろ黒が来るだろう」と思ってしまう。これはギャンブラーにありがちな錯覚であり、私もこれに陥ってしまっていたのだ。ルーレットには1から36までのほかに0と00があり、総計38種類の数字で構成されている。このため、赤が出る確率は38分の18=47・36%で 黒が出る確率も同じである。たとえ赤が6回連続で出た後でも、次に赤で出る確率はやはり47・36%なのだ。

競馬も同じ。1番人気の馬が1着に来る確率が仮に33%だとしよう。1レースから6レースまで1番人気が1着に来ても、あるいはまったく来なかったとしても、7レースで1番人気が来る可能性は変わらず33%なのだ。
株は上がれば下がる可能性がある。このことを「マルコフ確率連鎖」といい、この世の中に存在することは間違いない。しかし競馬やルーレット、サイコロ投げに、この考えは通用しないのだ。「能力値1位の馬と4位の馬の組み合わせが何レース続けて来なかったので、次は買い」という方法論そのものが間違っていたのである。
毎月の給与は馬券に消えた。貯金はすべて食い潰し、車もみんな売った。人生のほとんどを競馬に投じる生活で、「もう競馬を止めよう」と考え始めたのもこの頃であった。

エピソード6.破産寸前の馬券師

■悪友との再会
「もう限界だ、毎週サイフがカラになる」「競馬は儲からない」「競馬は止めよう」などと毎日考えるようになった。
いままで義務のように毎週朝10時には必ず競馬場かWINSにいたが、予想だけして家でラジオを聴いてみることにした。つまり自分の馬券を自分でノんでいるわけだが、これがよく儲かった。つまり外れ続けるのだ。私のいまの予想では、馬券を買うよりも買わないほうが得、というわけだ。
「ああ、あの頃はパチスロではよく儲かった。そういえば渡辺はどうしているだろう」
渡辺の実家に電話してみた。なんと渡辺は、私の住まいの近くにいた。流れ流れて、池袋でスナックの雇われ店長をしているということだった。教えてもらった連絡先に早速電話してみると渡辺も競馬にハマっているという。
競馬は1人より2人でやったほうが楽しい。それからはWINSで待ち合わせて、2人であれこれしゃべりながら馬券を買うようになった。競馬が終われば残念会、または祝勝会を必ずやった。下がっていた競馬に対するモチベーションが一気に上がった。祝勝会の後はキャバクラに行った。深夜まで遊んで池袋にある渡辺の家に泊めてもらい。翌朝そこから競馬場に行くこともあった。
ある日「渡辺の祝勝会」で高校時代にやった麻雀ゲームの話をした。
「久々にやりに行こうか」
渡辺が誘ったのは換金してくれるゲーム喫茶で、そこにはポーカーゲームもあった。私たちはこのポーカーゲームにハマる。
ゲーム喫茶では、その日初めての入店時にプレミアムをもらえた。1万円払えば2万円分のベットをくれたのだ。このベットをそのまま換金されてしまうと店が損をするので、3万円以上にならないと換金できない仕組みになっていた。私と渡辺はいつもこのプレミアム狙いで店をはしごした。ベットを増やすことに専念し、3万円以上になった時点で換金して店を出るのだ。これを数件のゲーム喫茶で繰り返すのである。ポーカーゲームで儲けた金はキャバクラに注ぎ込んだ。こちらも最初の1時間だけ(キャバクラは最初の1時間だけは安いが延長すると高くなるシステムであることが多い)楽しんで店をはしごした。
毎週これを繰り返したら勝てなくなった。顔を憶えられてしまったようだった。ポーカーゲーム機は、店のカウンター内で制御できるようになっているらしいと後に聞いたことがある。初めての客にはいいカードをマシンに送る。少し勝っていい気分になった金持ちタイプの客なら、一気に締めて金を巻き上げる。そんな営業だったのだろう。

■マーチンゲールの誘惑と崩壊
子供の頃に観た映画で、もうタイトルは忘れてしまったが、こんなシーンがあった。カジノで女性が「確実に5000ドル儲けられる必勝法があるから3万5000ドル貸して欲しい」と男に頼むのだ。彼女の方法とは、まずルーレットの赤に5000ドル賭け、当たればそこで終わり(賭けた5000ドルが1万ドルになるので5000ドルの儲け)。外れたら、こんどは1万ドルをまた赤に賭ける。この時点で掛け金合計は1万5000ドルだが、当たれば2万ドルが手に入るので5000ドルの儲けだ。それでも外れたら2万ドルをまた赤に賭ける。3回連続で外れることはまずないから、いつかは儲かる、だから3万5000ドルを貸して欲しい、というわけだ。
男は断るのだが、私は「なんと素晴らしい必勝法なのか!」と子供ながらに思った。これは「マーチンゲール法」という有名なカジノ攻略法なのだが、負け続けていた私は、この幻の必勝法に頼らなければならなかった。
  ところが計算してみると、これはとんでもないリスクを抱えている必勝法であることがわかる。オッズ2倍の馬券を選んで1回目の賭け金を1000円とした場合、外れたら2回目は2000円、それも外れたら3回目は4000円と賭け金を倍々にしていくわけだが、この方法では15回目の賭け金は1638万4000円になってしまう。そこまで負けた分も合わせた賭け金合計は3276万7000円だ。そんな金額は現実的ではない。私のいまの資金力では、どうかき集めても8回目(賭け金は12万8000円、賭け金合計は25万5000円)までが限界だ。7回も8回も連続して外れるとは思いたくなかったが、もっと安全に運用できないものかと検討した。その結果が次のような戦法だった。

○仲谷式マーチンゲール資金運用システム○
①仲谷式専門紙チェック得点方式で競走馬の順位を決め、1位の馬の単勝を買う。
②1位馬のオッズが3倍未満の時は2位の馬を買う。
③2位馬のオッズが3倍以上の場合、その馬が勝った時に賭け金が3倍になるように買い、あまった金で他の穴馬を押さえる。どうしても倍率が合わない時は馬連も認める。
④賭け金は1000円スタートで、1回的中すればプラス2000円になることを目指す。
⑤11回連続で外れたら打ち止めとして、また1000円からスタートする。

私のシステムは順調に稼動していった。毎日12レース中3回くらい当たり、6000円くらいずつ儲かった。
「これはいい! さらに儲かったら将来的にはスタート金額を上げよう。私はもう無敵の馬券師だ!」
ここまで読んでくださったみなさまにはもうおわかりかと思うが、このシステムはある日壊滅する。
10レース目、4万500円をサイフから取り出す。

「まだ大丈夫。私のシステムは15回目まで対応できるのだから……」
約束の11回を超え、とうとう14回連続で外してしまった。15レース目で窓口に30万7800円を差し出す。もう後へは退けない。だがゴール100m手前で私の買った馬がずるずると後退していく。手は汗でびっしょり、目には涙がたまっていた。
「何もかも終わった..」
全身の力が抜けた。私の財政がパンクした瞬間だった。キャバクラの代金はクレジットカードで払っていて、馬券の軍資金もカードでキャッシングしていた。会社の給料はもらった時点でカードの支払いで消え、その支払いを済ませるとキャッシングして馬券を買い、当たればすぐ返済をする。そんな自転車操業状態だったのだ。そしてこの日、絶対安全のはずだった仲谷式マーチンゲール資金運用システムは失敗に終わり、来月のクレジット返済はできなくなったことが確定したのである。
翌週、栃木の実家に帰って父に頭を下げた。父はいますぐ出せる現金はないといった。が、結局父はゴルフ会員券(以前1000万円だったその会員券は500万円まで下がっていて、いまは売りたくないと父はいった)をしぶしぶ売って、私にお金を振り込んでくれた。
実はこの会員権、数週間後に30万円まで値を下げてしまったという。「800万円が2年後には2400万円になる」はずの会員券は5万円になり(しかも持っているだけで年会費が30万円もかかる)、7000万円だった会員券はゴルフ場の倒産でゼロに、父の会社の株価は200円に下がってしまっていた。
仲谷家のバブルはもう完全に終わっていた。いまでも実家に帰ると父はいやみをいう。
「おまえが金を借りに来てくれたおかげで、30万円のものを500万で売れて、470万円儲かった」
いつも自分への戒めとして、正座をして父の話を聞いている。

エピソード7.競馬攻略法確立への道

■タイム理論に挑戦
  破産寸前に追い込まれたものの、私は細々と競馬を続けていた。そこへ渡辺が「凄いことを考えた」とやって来た。
「同じダート1200mでも雨が降った時と乾いたパサパサの時とでは当然タイムが違う。その日の馬場状態を踏まえて基準タイムを設定し、そこから何秒早いかを計算して競走馬の能力を判断したらどうか」
私は「競馬最強の法則」をずっと愛読していたので、それが「スピード指数」という考えかただと知っていたが、渡辺は「スピード指数」を知らずにタイム理論を思いついていたのだ。パチスロ攻略法も大半は渡辺が見つけた。渡辺は本当に天才かも知れない。
1週間後、渡辺の家に行くと彼は「計算を間違えるから話かけないでくれ」と電卓を叩きながら競馬新聞に指数を書き込んでいた。深夜2時になって「もうそろそろ寝ようよ」というと「まだ5レースまでしか終わっていない」という。残りは競馬場でやりなよと、無理やり寝かせた。
寝坊したため、競馬場へ向かうと第1レースに間に合わないことがわかった。急遽戦場を渡辺の家から近い後楽園WINSへ変更して出兵する。渡辺はレースが終わるとすぐ階段に座り込み、持参した電卓を叩く。昼飯も電卓を叩きながら食べる。これでは競馬は楽しめない。ついに第10レースで追いつかれ、メインレースは指数が書かれていない新聞で予想しなければならなかった。
その日の反省会でのことだ。
「自動的に指数を計算できたら競馬に集中できるのになぁ」
「俺がプログラムを組んでやろうか?」
「でもタイムはすべて入力しなければならないんだろ?」
「JRA-VANからデータをダウンロードすればどうかな?」

「JRA-VANって何?」
こんな会話の末に、私は渡辺式タイムシステムのプログラムを開発することになった。
2週間であっさり完成したが、渡辺はパソコンの「パ」の字も知らない。中古のパソコンを見つけてきてソフトの使いかたを説明した。競馬場別・日別にダートと芝の馬場差を入力する必要があったが、渡辺は「楽チン」といいながら喜んでノートに書き溜めた馬場差を打ち込んだ。実戦では目を見張るような穴馬を当てることがあり「渡辺式は本物か」と思わせることもあった。
その後、馬場差を自動計算できるように改良し、「仲谷式タイム理論システム」を完成させた。競走馬の能力が数値化され、一目瞭然だ。特に、前走が500万下の馬、900万下から降級してきた馬、未勝利を勝ってきた馬などが混じったレースでの比較に便利だった。当たる・当たらないは別として、予想するうえで1つの指針になってくれた。私の指数が当たったら勝ち誇り、渡辺の指数が当たればなぜそうなったかを参考にして「仲谷式タイム理論」を修正する。
最初に見直したのは斤量補正値だった。JRAのハンデキャッパーは0・1秒を2キロで計算するから私のタイム理論でもそうしていたが、これでは斤量の軽い馬がすべて指数上位になってしまう。いろいろ計算して試し、0・1秒は1キロが妥当であると結論づけた。次におかしいと思ったのが距離係数だ。一般にスピード指数では「3000m戦の1秒より1000m戦の1秒のほうが価値は高い」と考えられているが、これもおかしいと感じて検証してみたところ、距離の差は関係ないという結論に達した。
ある時、渡辺が馬場差をレースごとに設定できるようにしてくれといった。理由はわからなかったがプログラム修正は簡単だったのですぐに直してやった。しばらくして渡辺は、この馬を絶対買えという。私の理論では指数が低い馬だったので「いらないよ」といったが、渡辺の指名した馬はズバリ1着になった。
「このレースはスローだから指数を上げ底して補正しなけれならないんだよ」
いまでこそ当たり前の方法論であるが、渡辺は独自に「スローペースの時のタイムを補正する」ということを思いつき、そのために馬場差をレースごとに設定できるようプログラム改修を求めたのであった。本当に天才かも知れない。

■運命の決断
27歳になった頃、私は6歳下の女性と結婚した。結婚を決めた理由は、一緒にいて相性がよかったことはもちろんだが、彼女は私にないものを3つ持っていたのだ。「きれい好きであること」と「字が上手であること」、そして「お金に堅実であること」である。
結婚式は地元の栃木でおこなった。飲む・打つ・買うの三拍子揃った私は貯金ゼロだったので費用は全額親に出してもらったが、妻は自分でためたお金でまかなった。高校卒業後に上京してたった2年の間に貯金したものだった。それに比べて私はあればあるだけ使う性格。結婚から10年以上たった現在では全面服従のカカア天下だが、もしかするとスタート時点から私には男の威厳などなかったのかも知れない。
新婚旅行は、みなさまの予想通りラスベガスへ。MGMという当時完成したばかりのホテルに泊まったのだが、5000室もあってとにかく広い。1階にはフットボール場3つ分の広さを持つカジノがあった。ポーカーゲーム、ルーレット、ブラックジャック……。24時間寝ずにやった。
ただし、出発前にいろいろ調べたが、カジノにあるゲームはすべて期待値100未満である(つまりプレイヤーが負けることになっている)のが決まりらしい。必勝法が唯一あるのはブラックジャックだった。出現したカードをすべて憶える「カウンティング」という方法である。すでに出現したカードは二度と配られない。だから「ハートのAはまだ出ていない。残り少ない山の中にある」などと考えて、勝てる確率が期待値100を上回った時点で大きく賭ける、というわけだ。
新婚生活でも私のギャンブル生活は続く。毎週土日は朝9時に競馬場へと出勤した。最初は妻もついて来ていたが、さすがに毎週となると飽きてくる。ある日ついに妻が切れて怒った。
「毎週毎週、なんで競馬ばっかり行くのよ!」
平日は会社の残業で帰宅時間が遅く、土日は朝早く家を出てしまうのだから怒るのも無理はなかった。しかし売り言葉に買い言葉でついいってしまった。
「競馬は儲かるから行くんだよ」
「儲かるならお小遣いはいらないね!」
「ああ、いらないよ!」
運命の分岐点を迎えた瞬間だった。さて、来週からどうしたものか? 馬券を外せば小遣いはなくなり、タバコや昼食にも事欠くようになってしまうじゃないか……。

エピソード8.人生最大の勝負

■完全自作ソフト、ついに完成
  会社の仕事はキッチリやって給料はすべて家に入れた。忙しい時は残業で帰宅が0時過ぎになることもしばしばだった。しかし頭の中は寝ても覚めても競馬のことばかり。通勤電車の中で「これは」と思うアイデアが浮かべばすぐ手帳に書き留め、家に帰ってからすぐプログラム化して検証した。寝る前にプログラムのシミュレーションを実行し、結果を朝に確認する。パラメータを調整し、またシミュレーションを実行してから仕事に出かける。プログラムを追加修正して過去のレースでシミュレーションを実行、的中率が下がれば追加したロジックは間違いで上がれば採用……。これを繰り返し、1年以上かけてプログラムは山登り式にバージョンアップした。いままでの競馬観は日に日に変わった。本で読んで信じていたことが実は迷信だった、というケースがいくつもあった。
このプログラム、基本的には各競走馬の能力をタイム差から算出して指数化するものだったが、これが完成した頃から競馬で少し儲かる「小遣い馬券師」になった。妻に追い詰められて私はついにここまで来たのだ。妻に少し感謝する。
腕が上がれば自分の実力を試したくなる。当時はまだインターネットではなくパソコン通信が主流だったのだが、パソコン通信の最大手NIFTY-SERVE(現在は@nifty)にFHWARSというフォーラムがあり、競馬予想ソフトコンテストをおこなっていた。私は自分のプログラムの予想精度を試すため、このコンテストに出走させることにした。
出走させるにはソフト名が必要だった。妻に相談すると「ホクロの毛」がいいという。私のホクロに毛が生えていたのを見つけたからだそうだ。家事のセンスはある妻だが、ネーミングセンスはまったくないらしい。当時キムタク主演の「ラブジェネレーション」というドラマが流行っていた。競馬では「ダービースタリオン」というゲームが人気だった。そこで私は2つを合わせて『ダービージェネレーション』というソフト名にした。妻は「何が『ダビジェネ』だよ!」と笑っていたが、少なくとも「ホクロの毛」よりはいいと心の中で思った。

この『ダビジェネ』は比較的好成績を残した。見ている人は見ているのもので「ダビジェネ」が欲しいというメールが殺到した。私の個人ツールであった「ダビジェネ」は、ついにシェアウェアとして世に出ることになったのだった。

■アナログ補正への到達
渡辺は実家のそば屋を手伝うために茨城へと帰ってしまっていた。古河市で「そば善」という手打ちそばの店をやっている。味は保証するので、近所に住む方にはぜひとも行って欲しい。その渡辺から電話があった。
「競馬をVTRに録って何回も見直すと、いろいろなことがわかるよ。スタートで出遅れたりとか、すべてのコーナーで外に膨らんだ馬はまず上位に来ないね。しかし、そんな無理なレースをして惨敗した馬は逆に次走で狙いだね」
私は驚いた。渡辺は「トラックバイアスを肌で感じて実践していたのであった。「トラックバイアス」とはアンドリュー・ベイヤーの著作『勝ち馬を探せ!』(山本尊訳/発行所・メタモル出版/1990年)で使われた言葉で、馬場状態によってコースの内外や展開に有利・不利が変化するという考えかただ。
  渡辺はVTRを繰り返し見てメモ帳に状況を書き留め、予想時には前走で過酷なレースをした馬の指数に下駄を履かせるのだという。全部のレースを検証するのは不可能なので、500万下のダート戦のみチェックしているとのことだった。
当時、ダビジェネの的中率と回収率は頭打ち状態(毎日は勝てないもののトータル収支で負けることはない、という状況)になっていて私は悩んでいた。もう1枚上を目指したかった。現状105%程度の回収率をなんとか120%以上にしたいと考えていた。渡辺のいう通りレースであった不利などを予想に反映させれば確実に的中率・回収率は上昇するはずである。
1月から心機一転、競馬中継をVTRに録画してこの作業に挑戦することにした。いざやってみると予想以上に時間がかかった。レース翌日のスポーツ新聞成績欄には各馬の位置取りが掲載されていて、これを見ながらやると作業ははかどったが、それでも1つのレースをチェックするのに3回以上はビデオテープを巻き戻さなければならなかった。
ある時、チェックしたい馬が画面から消えてしまい、次に映った時にはずっと後ろに下がっていたこともあった。何が起こったのかと競馬ブックを見ると、横にいた馬が急に進路を変更したため不利を受けたと書いてある。
こうして1つのレースをチェックするのに15分くらいかかり、3場同時開催で土日合計72レースもある時には18時間も要する。会社から帰ってから毎日2時間ずつ作業し、それでも足りずに土日もビデオを見まくった。ようやく1か月分が終わったが、チェックする

基準はレースごとにまちまち、疲れてしまって適当に見たレース、過大評価し過ぎたレースなどがあり、チグハグになっているのはやっていてわかった。
1馬身不利を受けたら0・2秒の補正、3馬身出遅れたら0・6秒、手綱を持ったままゴールしたら、追い出しが遅れて脚を余したら……など、基準や補正値は「なんとなく」作っていた。果たしてこれは正しかったのだろうか? もし、この苦労の結果『ダビジェネ』の的中率・回収率が以前より上回っていればOK、下回っていたらNGということになる。早速シミュレーションソフトを作成して検証してみた。
結果は想像していた通りNGだった。的中率は2%下がり、回収率は5%も下がった。
「ダメだ、ダメだ!」
そもそも作業前に基準を作らず、なんとなく始めたのが大きな間違いだった。1馬身の出遅れはどれくらいの不利なのか? 手綱を持ったままゴールした馬は一杯に追った時にどれくらい伸びるのだろうか?
こうした疑問を解決するため、とりあえず「1馬身出遅れた」「手綱を持ったままゴールした」という情報のみを入力しておき、そこに係数を掛けながら妥当な数値を探るべくシミュレーションを繰り返すことにした。
寝る間を惜しんで作業をやり直した結果、補正値はどんどん正確なものとなっていき、回収率はようやく110%の壁をぶち破ったのである。

■投資の競馬
ある日、夢の中で考えた。『ダビジェネ』では多くのスピード指数系理論と同様、「基準タイム」というものを作り、その基準タイムと各馬の走破タイムとの差から能力を算出するのだが、VTRチェックを通じてほとんど全レースの「基準タイム」をいちいち補正するようになっていた。そんなわけで、そもそも「基準タイム」なんて必要ないのでは、という気がしてきたのだ。最初からそのレース固有の基準ポイントを作ればいいわけだ。とすると、そのレースを走った競走馬を1頭選んで「ものさし」とし、ほかの馬の能力を算出すればどうだろう?
夢は忘れやすいので、すぐノートに書き留めた。電車に乗って通勤する時もこの考えをもとにしたプログラムをすぐに組みたくてしょうがなかった。会社から帰宅するやいなやパソコンに向かい、プログラム作成を開始した。平均睡眠時間は3時間で、2週後、ついに現在の「仲谷式ルール」の原型となるプログラムが完成した。
この方法論の最大の武器は「デジタル情報」と「アナログ情報」の融合で、絶妙な係数設定ともあいまって大きな性能向上を果たした。ついに私が無敵の領域に突入した瞬間だった。
私の貯金額は土日ごとに膨らみ、もうサラリーマンの「小遣い馬券師」の領域を大きく超えてしまった。「仲谷式ルール」についてインターネットの掲示板に書いたところ、どうしても予想が欲しいという人が殺到した。そういう人には無料で予想メールを送ってあげていたが、とうとうその数は1万人を超えてしまった。
この頃には「人生一生勉強」という信念を持つようになっていたので、たとえ馬券で儲けていても仕事は続けていたかった。しかし、私の予想を頼りにしてくれる人が1万人を超えたとなると「これは新しいビジネスモデルになるかな」と思えてくる。一般の競馬ファンは「競馬で儲けたい」と思いながらも、私のように寝る間を惜しんでVTRを見たり予想したりはできないだろう。それを私が代行して手数料をいただくこともできるはずだ。「これは仕事だ!」
そういって妻を説得し、厳しい妻の合意のもとに退社、競馬予想支援業「うまうま競馬」をスタートさせたのである。

平日も競馬の研究に専念した私の回収率はついに120%を超えた。貯金は日に日に増えた。私にとって競馬はもはやギャンブルではなく、「投資」の世界に突入したのだった。
競馬はパチスロと違って仕様が変わることはない。今後、攻略法を一から見直す必要が生じるという状況にはならないはずだ。
私は一生お金に困らない領域に到達したのだった。

■一世一代の大勝負
この頃から平日がヒマになり、地方競馬や株も始めるようになった。地方競馬は5分前のオッズがまったくアテにならなくて苦労したが、月々まあまあの収支となっている。株のデイトレードでは、株価の割に配当が多い銘柄を選んだ。株主優待のある銘柄も好きで、近所にあるスーパーや牛丼店を買ったりした。
しかし、ちょうどこの時期にイラク戦争が始まり、アメリカや日本の株値は大きく下がった。1日待つと、さらに株価は落ちた。次の日もドキドキしながら購入せずに待ったら、さらに株価は落ちた。
「石橋を叩いてトレーラーで渡れ」
ソフトバンクの孫社長はそんなタイプの人だと聞く。私は石橋を叩いて叩いて叩きまくった。株はいつか上がる。そしていつか下がる。私は、株も競馬も期待値(詳しくは後ほど説明する)が100を超えた時点が「買い」で、下がった時が「見送り」だと思っている。株の場合、株価が企業価値より下がった時点が「買い」で上回った時点が「売り」になる。
イラク戦争は直接日本企業に影響を及ぼしていないため、日本の企業の企業価値は下がっていない。しかし株価だけがアメリカ経済に影響されて一方的に下がっている。つまり「買い」のゾーンに突入しているのだった。
石橋を叩き過ぎて拳から血がにじんできたある日、香港で「重症急性呼吸器症候群(SARS)」が流行して日本株がさらに大きく値を下げた。「もうこの時しかない!」と確信した瞬間だった。
家にある金はすべて株の購入資金になった。今週末の競馬代も残っていない。妻のサイフにあるお金のみが唯一残った現金だった(実は妻の承諾なしでの決行だった)。19歳の時、父に勧められてもまったく興味を持てなかった株の世界だが、ここまで熱くなるまでになっていた。これがいままででいちばん大きい勝負で、私は億単位の金を初めて手にしたのだった。

■馬券師兼予想家としての生活
若い頃なら億単位の金など手にしたら遊びまくっただろうが、その愚かさはイヤというほど学んだし、いまは家庭も持っている。現在の私の生活は、こんな感じだ。
馬券代は月250万円で固定し、50万円の利益を目指している。投資額を増やせばもっと儲かる可能性もあるが、これ以上は上げないことにした。
父にいわれた通り、ブランド品などは一切買わないようにしている。高価な消耗品など不要だ。唯一、締め切りギリギリまでオッズを見るために電波時計を買ったのが贅沢といえば贅沢だろう。女性が接客する飲み屋にも一切行かなくなった。移動方法は基本的には電車。クルマだとお酒が飲めないし、予想より時間がかかることも多いので不便だ。健康のため歩くことも心がけ、趣味としてジョギングをするようにもなった。
デイトレードはやめた。いまは絶対上がると思う株しか買わないようにしている。例の大勝負の後は、大和銀行(現りそな銀行)と、ライブドアVSニッポン放送の時のみ大きく買ったくらい。ほかでは株主優待が欲しくてイオン、松屋、東京競馬だけを持っている。
  コンピュータ関連の仕事は嫌いじゃないので、機会があれば定期的に受注しようと思っている

そして、競馬予想業。これは、全国にいる利用者や知人からの期待に応えるためにも死ぬまで続けていくつもりだ。
私の場合、いままでいろいろなことをとことんまでやったため、もう大きな欲求はなくなってしまったようだ。必要な物には惜しみなくお金を使うが、必要のない物には一切使わない。そんな姿勢で、長く競馬を続けていきたいと考えている。

 

開発後記

 よく「本当に儲かる馬券法は、世の中に出ない」と言われています。本を出したり予想を売ったりすることは営利目的であり、本来、馬券で儲かっていればやる必要はないからです。
  自分で言うのも何ですが[仲谷式ルール]は、馬券を投資と考えた場合に出来ることをすべてやった1つの発明だと思っています。その発明のノウハウを全て書いた本書を公開することは私の馬券生命を奪う最大の危機をもたらす物になりかねません。
  私は、若い頃ケツの毛を抜かれるほど馬券で負け続けました。必死であらゆる馬券本を読み漁り、そして得意のコンピュータを駆使して、ついに『RATE BUSTER!』を開発しました。数年前、「これでのんびりと誰にも教えることなく馬券で暮らしていこう」と思いました。住むところも買ったし貯金もできた。しかし、いざその生活をしてみると何故か物足りない……。
「僕の馬券法、予想を誰かに聴いて貰いたい」
  そんな欲求が強くなったのです。
「競馬最強の法則WEB」のTheBestTipStarCUPに参加したのが数年前、そして欲求は年々強くなり、ついにここまで来てしまいました。

 馬券を買う人間が全員『RATE BUSTER!GOLD』を使いこなした時、「恐らく僕は今のように馬券で儲けることはできなくなるかも知れない」という不安があります。しかし今となればそんな小さなことは、どうでもいいように感じてきました。競馬という魔物にのめりこみ。ここまで研究した男がいたということを残しておきたい気持ちが高くなったのです。
  私自身が数々の馬券術を踏み台にしてここまで来たように、いつかは[仲谷式ルール]を踏み台にした馬券術が必ず現れるでしょう。それは拒むことのできないことで、競馬を予想する人間の宿命だと考えています。
「僕の後ろに道はできる」
  そんな気持ちで本書を書き終えたいと思います。

 

 

 

 

(2)開発者馬券との格闘の日々

 競馬というギャンブルの魔物に取り憑かれた20代。「競馬に必勝法は存在しない」と、なかばあきらめながら競馬場を彷徨い、仕事で稼いだお金をせっせと注ぎ込む生活を続けていました。それでも競馬が好きで好きでやめられず、ついには借金まみれ。ガックリうなだれて涙目で空になった財布を見ていると、1頭の馬が私にこう言いました。
「もしもし、あなた、こういう馬券の買い方をしてみなさいよ」
そのひとことが私の人生を大きく変えました。パソコンを武器に馬券の買い方を日夜検証し続け、そして30歳、ついにテラ銭25%の壁をぶち破る日が来たのです。
「ようやく血のにじむような思いで見つけた必勝法、これは誰にも教えまい」
そう思って会社を辞め、数年間ひとりでこの必勝法を使って荒稼ぎしました。しかし億の金を手にした瞬間、なんだか必勝法を隠し通す自分がとっても小さな人間に感じたのです。
雑誌「競馬最強の法則」の予想コンテストに参加してから、私の人生第二章が始まりました。社会から隔離されたひとりの馬券生活者が、たくさんの競馬ファンに支持され予想を提供するという仕事でついに社会復帰したのです。
それから数年。40歳という節目の年に、私がつかんだ競馬の必勝法すべてを本として書き残すことにしました。「せっかくの必勝法を他人に教えてしまうなんて、バカなことを」と思われる方は多いと思います。しかしいまの私には、そんなことはどうでもいいのです。たくさんの人に私の方法を知ってもらう方が社会に貢献していると考えるようになったからです。
競馬には十人十色の予想法があり、すべての人が私の方法に賛同してくださる訳ではないかも知れません。しかしこの本を読むことで、どんな競馬ファンも、必ずこれからの競馬ライフに役立つ方法論を学べると確信しています。
あの日、私に微笑んだ競馬の神様の言葉をでるだけ多くの競馬ファンに伝えることが、私の果たすべき使命だと考え筆をとった次第です。

 

第1章 開発者のギャンブル人生 馬券格闘編

無限に秘めた可能性でも、負け続けの日々

 競馬を始めて2年目で、競馬新聞の見方、レースの仕組などがひと通り分かるようになった。はずかしながら、それまでは何も分からず、競馬専門紙に掲載される予想家の印や推奨買い目の通りに何も考えずに買っていた。
  そもそも私が競馬にハマった理由は、競馬というギャンブルに無限の可能性を感じたからである。たとえば100万円を2倍の本命馬券に賭けて当たれば払戻しは200万円。2分足らずで100万円の儲けになる。パチプロだった頃は、朝から晩までがんばっても1日10万円が精一杯の儲けだ。それが2分で100万円。1000万円賭ければ1000万円の儲けになる。24歳の私は、競馬という魔物にとりつかれてしまったのだ。
  月曜日から金曜日の朝は、スポーツ紙を買って通勤中(この頃はサラリーマンだった)に先週の結果確認や今週末に行われるレースの情報収集。金曜日の仕事帰りには専門紙を買って土曜日のレースを予想。もちろん土曜と日曜は朝から競馬場やWINSに入り浸った。
  そんな生活だから当然彼女はいないし、上京してから競馬場以外の場所に行ったことすらなかった。
  競馬が分かるようになったと言っても、その頃の収支はと言うと、給料はすべて馬券で消えてなくなっていった。働いて稼いだお金は2分で100万円になるどころか1円も残らなかった。幸い会社の寮に住んでいたので財布が空になっても生活に困ることはなかったが、お金を持って帰れるのは運良く最終レースに当たったときだけで、プラスにはほど遠い収支だった。
  毎週負けた。負け続けた。
  普通の人間ならここで競馬をやめるところであるが、私はやめなかった。やめない理由は、いつか儲かり続けて金持ちになる日を夢見ていたからだった。パチンコやスロットは攻略法を見つけたとしても、やがて新台が登場し、その攻略法が通用しなくなる。だが競馬なら、そんなことはないはず。一度いちど攻略法を見つければ永遠に儲けられる打ち出の小槌こづちになると思ったのだ。しかし現実には、パチプロ時代に買った車や貯金などをすべて無くしてしまうありさまだった。

馬券名人の出目馬券術のるかそるかの大勝負!

 当時、私が勤めていた会社に鈴木さん(仮名)という有名な馬券名人がいた。おじさんに馬券本を出している競馬評論家がいることもあって、競馬に関しては社内で一目置かれる人物だった。
  鈴木さんは1レースで250万円儲け、そのお金で新車を買ったことがあるという武勇伝の持ち主だ。そんな実績があるから鈴木さんの競馬好きは家族も公認で、毎月の馬券収入を家計の足しにしていると聞いた。当時の私にとって鈴木さんは雲の上の存在。前々から一度いちどその馬券法を聞いてみたいと思っていた。
  あるときの飲み会でのこと。鈴木さんの近くに偶然座ることができた私は、さっそく鈴木さんに競馬の話を振ってみた。すると鈴木さんはサイフから1枚のメモを取り出したのである。
  鈴木さんによれば、今年は、第4レースと次の日の第5レースが連動しているのだという。○月14日の第4レースで枠連7-8が出たから、翌日の○月15日の第5レースも7-8で決まったというのだ。そして連動関係なし日を挟んで○月22日の第4レースが3-4。それが先週日曜日のこと。つまり今週土曜日の第5レースは枠連3-4で決まると真剣に語るのだ。
  もちろん今回は3-4に10万円賭けるという。鈴木さんは自信満々に、私の目の前に10枚の1万円札を出して見せた。

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日付      1R   2R   3R   4R   5R
○月01日(日)               6-8
○月07日(土)                    6-8
○月08日(日) 連動関係なし日
○月14日(土)               7-8
○月15日(日)                    7-8
○月21日(土) 連動関係なし日
○月22日(日)               3-4
○月28日(土)                    3-4?
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 出走する馬も枠順も騎手も決まっていないのに、なぜ? そのオカルト的な買い方に私は、新鮮さを感じると同時に疑問も持ったのだった。
  やがて金曜日になり、帰宅途中の電車で私は競馬新聞を開いて第5レースの出馬表を見た。16頭立ての未勝利戦だ。3枠2頭は、どちらも△の評価。4枠は2頭とも無印だった。
  3-4なんて、とても来そうにない。のるかそるか? 私は憧れの鈴木さんの言葉を信じてみることにした。
  土曜日はいてもたってもいられず朝6時に目が覚めてしまった。朝一番でWINS銀座へと行く。第4レースのオッズを見ると、枠連3-4は40倍の高配当だ。
「ヨシ、3万円買おう。くれば120万円だ!!」
  意を決したものの、窓口では手が震えた。なぜなら私はこんな穴馬券を1点で買ったことがなかったからだ。当時の私が好んで買っていたのは「◎◎◎◎◎◎」のような、でんでん虫がいっぱい付いた馬ばかり。そこから○と▲と△に流す。一応タテ目も押さえよう。さらに念を入れて「注」という印の付いた馬も小額買っておかなければ……と、そんな感じ。それが今回は△と無印の組み合わせである。こんな、印がまったく付いていない買い目なんて買ったこともなかった。しかも今回はたった1点、3万円の大勝負である。手が震えても無理はなかった。
  レースが始まると、意外にも無印の4枠2頭が先行する。
「ヨシ!」
  そう思いながら中継画面に釘付けになった。4コーナーを回っても、依然として4枠2頭が先頭だ。
「3枠コイ! 3枠どちらかコイ!」
  心の中で叫び続けた最後の直線。が、結局4枠2頭がそのままゴールイン。枠連4-4は大万馬券だった。
  3枠2頭は伸び切れず、5着と7着。私は「惜しかったなぁ」などと思いながらWINSを後にしたのだった。

 鈴木さんは、あの3-4の馬券をいったいいくら買ったのだろうか? そんなことを考えながらも出張中の鈴木さんには会えないまま数日が過ぎていった。
  ところがある日、鈴木さんの出張先から会社に電話があった。数日に渡って、鈴木さんが無断欠勤しているとのことであった。
  後日、上司が鈴木さんに理由を問いただしたところ、なんと出張をサボって競艇に行っていたとのことだった。この頃から鈴木さんはおかしくなった。鈴木さん宛ての、いかにも仕事関係ではなさそうな電話が日に何度も会社にかかってくるようになった。しばらくして鈴木さんの姿を見ることもなくなった。先輩に聞いたところ会社を辞めたとのことであった。
  後に風の噂で聞いたのだが、鈴木さんはギャンブルが原因で多額の借金を背負い、その返済のために長距離トラックの運転手をやっているとのことだった。持ち家や車も手放し、奥さんとも離婚、ひとり住み込みで働いていると聞いた。
  競馬で儲けることはできないのだろうか。そう思うと、さびしい気持ちになった。

陥ったカード地獄自転車操業の毎日

 ギャンブルの怖いところは、いくらでもお金を使えてしまうところだ。いくら毎日旨いものを食べ続けようとしても、よほどの店に行かない限り使えるお金なんてたかが知れている。1か月間、飲み食いだけで100万円を使えと言われたとして、まぁ1か月くらいならなんとかなるかも知れないが、それを毎月となるとなかなかできることではない。ましてや自炊で月に100万円を使うのは、まず不可能だろう。
  しかし競馬なら、たった2分で100万円を使い切ってしまうことも可能だ。それを毎レース続けることだって簡単である。そしてここが競馬の“無限に秘めた可能性”であり、落とし穴でもある。
  サイフが空になったら帰ればいい。サイフが空なら何も食べなければいい。そう考えていた私だったが、東京に来てクレジットカードという魔法みたいなものに出会ってしまった。お金がなくてもカード1枚でなんでも買える。翌月、あるいはその次の月には確実に支払い期日が来て使った分は銀行口座から引き落とされるのだが、少なくともそれまでの間は手元の現金は減らない訳だ。
  私はクレジットカードを使いまくった。手元に残った現金で馬券を買う。支払わなければならない分くらい確実に儲けられると、勝手に思い込んで。
  しかし収支は、皆さまご推察の通りである。前述のごとく「◎◎◎◎◎◎」のでんでん虫からの多点買いなので、それなりに当たり、お金が完全になくなってしまうことはなかったが、きれいにテラ銭25%分ずつ負けていった。
  あるとき、クレジットカードにはキャッシングという便利な機能があることを知った。カードで買うのではなく借りるのである。ただし、多額の利息がつくことは言うまでもない。さすがにこれだけには手を出すまいと思いとどまっていた。
  その日のメインレースには絶対の本命馬が出走していた。どの新聞にも私の大好きなでんでん虫がきれいに並んでいた。単勝オッズは1・3倍だ。
  昨日の金曜に給料をもらったばかりで、私のサイフは厚かった。
「この馬は絶対に負けることはない。ヨシ、1か月分の給料を1・3倍に増やそう」
  そう安易に考えて本当に給料すべてで、その断然の本命馬の単勝馬券を買ったのだった。
  結果は、わずかに届かない、まさかの2着。ヒタイからアブラ汗が流れた。1か月分の給料を、もらってからたった1日でスってしまったのだ。
  私は最終レースで取り返そうとすべく、クレジットカードを持ってキャッシングコーナーへと走らざるを得なかった。そして当然のように最終レースもハズレたのだった。
  この日を機に、私の経済は1か月ずれてしまった。
  給料をもらったと同時にキャッシングの返済をする。給料日直後だというのにサイフの中身は空っぽだ。だから、何をするにもクレジットカードを使うしかなかった。手元に生活費がまったくないというのも困るので、限度額いっぱいまでキャッシングもする。そんな状態なのに競馬を止めることはなく、でも、やっぱり勝てない。
  そして1か月後には、またカードの返済期限がやってくるのだった。

電話のベルに怯える日々そして女神があらわれた

 徐々にクレジットカードの枚数も増え、どのカードの返済日がいつなのか、手帳に書いておかないと分からないくらいになってしまった。それでも、ついうっかり期日を忘れて返済を滞らせてしまったことがあった。あわてて別のカードでキャッシングをして返済しようと思ったのだが、返済を遅延したせいかそのカードも使用不能になっている。万事窮す!
  次の給料で返すしかないな。とりあえず開き直っていつも通り働いていると、会社に電話がかかってきた。
「仲谷君、山田さんから電話だよ~」
  山田? 誰だろう? 電話に出てみると、それはカード会社の人だった。カード会社からの電話だとわかれば職場で評判が悪くなる、そう考えて向こうが気をつかってくれているようだった。だが電話の内容は気づかいとは無縁、相手は凄みながら、今週中に返済しないと大変なことになると私に伝えたのだった。
  ははーん、鈴木さんによく電話がかかってきた電話のはこれか、などと思ったが、今度は私が鈴木さんと同じ立場に立ってしまったのだ。悠長な感想を抱いているヒマはない。
  さてどうしたものか? 会社での体面もあるから先輩に借りる訳にはいかないし、親に頼ることも避けたかった。
  となると、その頃知り合ったばかりの20歳の女友達に借りる頼むしかない。その女性は、頼んだ50万円を夕方には持ってきてくれた。助かった。
  後で聞いた話だが、彼女は会社の先輩にこのことを相談したそうだ。「その男(つまり私)にダマされているだけだから止めろ」と言われたらしい。しかし考えた末に、お金を用立ててくれたのだ。それは、定期預金を解約したりサイフから小銭までかき集めたりして用意してくれた、なけなしの50万円だったそうだ。
  その女性が、現在の私の妻であることは言うまでもない。
  私は親の期待に背いて大学には行っていない。だから親には大変な迷惑をかけたと思っていた。しかし父親に聞いてみると、そうではないらしい。弟は大学を卒業後に就職するも、すぐに辞めてブティックを経営しているし、妹は大学を卒業したものの就職せず焼物師になり、いまは二児の母だ。
  つまり二人ふたりとも学歴の恩恵を受けていないのだ。私はと言えば前作『直伝! 億の馬券術』で書いた通りの経緯でここまで来てしまった。父親いわく、私には学費がかからなくて助かったとのこと。ものは考えようだ。
  そうすると、私がいままででいちばん迷惑をかけたのは妻かも知れない。とにかく出会った頃から現在に至るまで、迷惑のかけっぱなしであるように思う。

パソコン競馬への目覚めそれは勝利への道になるはずだった

 競馬を始めて3年目になり、競馬新聞の予想印だけでなく馬柱の要素についてもかなり詳しく見られるようになっていた。しかし、どうしても勝てない。
「競馬は、絶対に儲からないもの」
  そう思い始めていた時期でもあった。
  勝てないのに馬券を買い続けるのは馬鹿だと、隣にいる将来の妻に言われた。確かにその通りだ。
  私は競馬新聞を見て、馬柱に詰め込まれているさまざまな項目をチェックしながら予想していた。その結果、勝つこともあるがトータルでは負けている。同じことを繰り返す限り、負けが続くだけではないだろうか。となると予想方法を変えるか、いっそ競馬を止めるしかない。
  私は、チェックしている予想ファクターを紙に書き出して整理してみることにした。すると、競馬をかなり分かったつもりでいた私だったが、競馬新聞で見ていた項目、予想のために利用していたファクターは実に単純なものばかりだった。

1 同じ着順でもクラスが上がるほど価値が上がる。
2 前走での人気が高いほど今回の信頼度は高い。
3 出走頭数が多いレースほどレベルが上がる。
4 同条件でも賞金の高い特別戦やグレードレースの方がレベルは高い。
5 市場取引馬/抽選馬/牝馬などの限定レースはレベルが低い。
6 斤量が増えれば能力を減算、逆に斤量が減れば加算が必要。
7 岡部騎手など巧いジョッキーが乗れば信頼度は高く、新人や勝ち鞍が少ない騎手だと低い。
8 負けた場合、1着馬との着差は少ない方がいい。1着馬は2着馬を離した方がいい。
9 初距離・初コースだったら少し減算。今回と同じコース・距離で実績がなければ減算。
10 馬体重が大きく変動していたらマイナス。
11 高齢馬や軽量馬はマイナス。
12 勝てなくても凄い脚で追い込んできた馬はプラス。
13 血統がいい馬はプラス。
14 厩舎コメント欄に書いてある内容によってプラスまたはマイナス。

 こうして書き出してみると単純ではあるが、実際には、レースとレースの間の短い時間でこれらを頭の中で組み立てながら出走各馬を比較することになって、なかなか大変だ。しかも各項目をどの程度重視するべきか、その比重は毎回なんとなく思いつきで決めていてムラがあった。
  どのファクターをどれくらい重視すればいちばん当たるのだろうか?
  クラスによって競走馬の能力はどれくらい違うのだろうか?
  前走1番人気と2番人気では、今回の能力にどれくらい違いがあるのか?
  疑問点が次々とあふれ出してきた。
  私はコンピューターソフト会社に勤務していたため、プログラミングの技術を持っていた。また偶然にもその頃にJRA-VANのサービスが始まり、出馬表や競走馬のデータをパソコンにダウンロードすることができるようになった。自分でプログラムを作り、各ファクターごとの重要度はどれぐらいが妥当であるのか、検証してみようと思ったのは自然な流れだった。

ついに完成した自作プログラム苦労して手にした検証結果は?

 それ以前、すでに「仲谷式競走馬能力分析システム バージョン1」は作成済ずみ(日刊スポーツに掲載される「日刊コンピ」と「専門紙チェック」から各馬の能力評価値を算出し、どう買えば儲かるのかを解析するプログラム。詳しくは『直伝! 億の馬券術』を参照していただきたい)だったが、今回のものはさらに力が入っている。
  まず、各ファクターの能力傾斜を外部パラメータとして自由に設定して検証できるようにした。たとえば前走18頭で1着なら10ポイント、17頭で1着なら9ポイントなど、各競走馬に与えるポイントをすべて細かく指定できるようにする。このポイント傾斜を少しずつ変えながら、どのポイント設定ならもっともよく当たるかをシミュレーションしていく訳だ。
  ポイントの大きな馬、つまり能力値がもっとも高い馬が1着になった数をカウントして的中率を表示するようにした。さらに能力値がもっとも高い馬の単勝馬券を100円ずつ買ったとして、その回収率も表示するようにした。
  ジャジャーン!
  こうしていまから15年前に作られたのが「仲谷式競走馬能力分析システム バージョン2」である。
  プログラム開発にはわずか3週間しかかからなかったが、外部パラメータのチューニングには1年以上もの時間を要した。あるパラメータを10から9に変更してシミュレーションを実施し、的中率が上がれば、その変更は正解。さらに念のため9から9・5に変更してシミュレーションしてみる。まずは的中率が上昇するようにパラメータをチューニングし、続けて回収率も検証するようにした。そうした作業をコツコツと続けたのだ。
  JRA-VANから入手した10年分もの競馬データをシミュレーションするには、当時のパソコンで1回につき6時間くらいかかったが、寝る前にセットして朝起きたときに確認、あるいは出勤前にチューニングして帰宅後にチェックということを繰り返した。これを各ファクターごとに、細かく能力傾斜を変えながら毎日のように続けたのである。
  いっぽうでこの頃から、おこづかいをすべて競馬で使ってしまう(そして負けてしまう)ことを理由にとして、すでに妻となっていた女性におこづかいの額を減らされはじめた。
  減らされても競馬は決してやめなかった。独身時代は1レースに5000円くらい買っていたのだが、いまでは1レースにつき300円。が、たった300円でも序々に増やしていける可能性があるのが競馬のいいところだ。それに私は「仲谷式競走馬能力分析システム バージョン2」の力によって、もう間もなく「どのファクターをどれくらい重視すれば当たるのか」という答えを手に入れようとしているのだ。毎週末が夢と希望で満ちあふれていたものだった。
  ふたたび、ジャジャーン!
  発表します。「仲谷式競走馬能力分析システム バージョン2」で検証し、各パラメータの能力傾斜をもっとも効果的に設定したとき、その予想精度は? なんと……

 単勝的中率26・1% 回収率74・8%

 ガックリくるような結果だった。1年以上もの労力が無駄になった瞬間だった。どんなに上手にパラメータを設定したとしても、いまの私のやり方では絶対にプラスにはならないのである。

タイム理論への挑戦そして格闘は続く

 予想することは楽しかったが、結果がまったくともなわない。さらに「仲谷式競走馬能力分析システム バージョン2」が失敗したことで目標を見失ってしまってもいた。なにしろ、あんなに苦労しても回収率は約75%。競馬の控除率は約25%であり、適当に1枠1番の馬ばかり買い続けても理論上は回収率約75%になる計算だ。
  しかし強がりを言えば、今回の検証で得た収穫もあった。私がいままで行なっていた「競馬新聞を見ながら、いくつかの項目をチェックしてもっとも強そうな馬を探す」という予想では絶対に儲からないことがハッキリ分かったのだ。この方法では、どのファクターをどんなふうに重視しても4レースに1回しか当たらず、控除率の分だけ負けてしまうのである。恐らく、予想ファクターを多少変更したところで結果は似たようなものだろう。
  私は、この世にある馬券本や競馬雑誌などを何か打開策は見つからないだろうかという思いで、この世にある馬券本や競馬雑誌を何か打開策は見つからないだろうかという思いで読みあさった。
  この時点で絶対に儲からないと思いはじめた項目は以下の通りだ。
「暗号」などのオカルト
「出目」や、鈴木さんがやっていたような「連動説」
  まず、これらは論外である。こうした考え方や馬券術には多くのファンがいるが、概して高配当馬券を少ない点数で買うという方法論だった。少ない買い目で高配当の馬券を買えば、確率の収束には時間がかかる。つまり最初の頃に当たってドカンと儲ければ、その儲けが減っていくスピードは(毎レース少ない買い目しか買わないために)遅くなる。

 また、たとえしばらく負け続けても高配当馬券さえ当たれば一発で取り戻せるという期待もあるし、実際そういうケースも出てくるだろう。だから「勝てる」という錯覚に陥りやすいのだ。
  だが、暗号とか出目といった根拠のない方法で馬券を買うというのは、無作為な買い方、1枠1番の馬ばかり買い続けるのと同じこと。確実に回収率は75%に近づいていくはずだと思った。
  だまされ勘違いしやすいのが
「増額投資」
「コロガシ」
「ウエイト(ある枠番や人気馬が何回連続で来なかったら次は買い、など)」
  といった馬券術、要は買い方についての工夫である。これについては『直伝! 億の馬券術』でも書いたのだが、資金がパンクする可能性もあり、結局は回収率が約75%になることも分かっている。
  あいまいで機械的に答えが出しにくいものとしては
「血統」
「厩舎情報」
  などがあげられる。これらを予想に利用することには有効な点もあるかも知れないが、私が考えている「仲谷式競走馬能力分析システム バージョン3」、すなわちパソコンを用いて有力馬を算出するという方法にはそぐわないように思えたのだ。
  もうひとつ分かったことがある。競馬新聞の馬柱にあふれている情報、つまりトラックマンたちの印のもとになるもの、あるいは人気のもとになるものや、人気そのものであるオッズをもとに予想をしてはいけないということだ。
「オッズから競走馬の能力を判断すること」
「オッズと同じような傾向を示す競馬新聞の印などで競走馬の能力を判断すること」
「競馬新聞の印のもとになる着順や前走人気、騎手を要素として競走馬の能力を判断すること」
  これらの方法は、避けなくてはならない。
  こうした予想は、誰もがやっていることだろう。着順や騎手がいい馬に新聞は◎を打ち、それを読む人も「◎だから強い」と考えて買う。だから人気は上がり、オッズは下がる。
  つまり競馬新聞に掲載されている情報で予想するというのは、ただ1番人気を買い続けることと大差ないのだ。1番人気を単純に買い続けると回収率は75%程度まで落ちる。人気馬は確かに上位に来る可能性が高く、買えば的中は増えるが、負けはふくらむことになる。まさに「◎◎◎◎◎◎」大好きな私の姿である。

苦闘の果てに見えたのは新しい光だった

 人気は人が作るものである。だが競走馬の能力は人気とは別に存在していて、競馬で儲けるためには、競走馬の能力が高いのに人気はない、そんな馬を見つけるしかないと思った。的中率と回収率はまったく別の次元に存在していて、的中率を上げるだけでは儲けることはできないとも感じた。
  実際「仲谷式競走馬能力分析システム バージョン2」では、競馬新聞に掲載されている情報の中でも分かりやすいもの、人気に直結する可能性のあるファクターばかり取り入れていて、その結果、回収率は上がらなかったのだ。競走馬の能力評価には、それまで私が考えていたファクター以外のものを参考にする必要があると思った。
  そんなふうに、プログラム化するために考えを整理しながらいろいろと読みあさった中で、唯一使えそうだったのがタイム指数系の理論だった。当時「競馬最強の法則」に連載されていた記事に、私は興味を持ったのだ。
  それまで競走馬の走破タイムは「馬場状態によって大きく変わる」ことから、あてにならないといわれていた。だが私が読んだ記事には、馬場状態の差も考慮して各馬のタイムを補正するという画期的な方法が記されていた。
  走破タイムは数字だ。JRA-VANのデータにも各馬の走破タイムは含まれているので、簡単にパソコンへと取り込める。そしてなによりタイム指数系の理論じたい、プログラム化しやすい内容だったので私はすぐに飛びついた。
「タイム指数1位の馬の単勝を買い続けるだけでも儲かる」
  そう本にも書いてあった。
  こりゃスゴいと思いながら、睡眠時間を削り、本の通りの計算式を使って1週間でプログラムを作成した。JRA-VANからデータを取得する部分は「仲谷式競走馬能力分析システム バージョン2」の該当部分を流用したため、あっさりと完成したのだった。
  早速、さまざまなシミュレーションを行なってみる。ところが「タイム指数1位の馬の単勝を買い続けるだけでも儲かる」と書いてあったことは、間もなく誤りだとわかった。
  ここからタイムとの戦いが始まった。
  タイム理論にとって最大の敵はスローペースだった。スローペースになると、どんなに強い馬でも走破タイムは遅くなり、能力は低く算出されてしまう。そこでスローペースのレースで出されたタイムについて補正することになる。私が参考にしたタイム理論ではコースごとの基準タイムが設定されていて、それをもとに各馬のタイム指数を計算することになるのだが、スローペースのレースではこの基準タイムを遅めに補正してやる訳だ。
  当然、全レースについてペースをチェックする必要があり、ペースによって適正な補正も施さなければならず、このあたりのプログラムを改良するのに約1年もかかってしまった。
  競走馬の能力を正確に算出したい。そう追求すればするほどタイムを補正するレースは増える。結局は全レースのコース別基準タイムを補正するようになった。つまり基準タイムを、いちいち全レースに対して設定することになるわけだ。これではもうコース別基準タイムというよりレース別基準タイムである。
  要するにコース別基準タイムなんて不要であるということだ。そのことに気づくのに2年かかった。そしてレースごとに基準タイム(ルールポイント)が必要で、このルールポイントをもとに競走馬の能力(ルール値)を算出する方法へと、私のやり方は変化していった。
  コース別基準タイムという絶対値を設けるのではなく、レースごとの基準タイムから相対的に判断する方法。これこそが現在の[仲谷式ルール]の原点である。

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◎仲谷式ルールにおける競走馬の能力値算出方法

レースごとに基準タイム(ルールポイント)を設定する

ルールポイントと走破タイムの差から競走馬の能力値(ルール値)を算出する
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酒乱の馬券師と過ごす破天荒な日々

 私には佐藤という悪友がいた。
  彼と初めて会ったのは、知人の家でマージャンを打っていたときだ。彼はその場にギャラリーとして来ていた。そのときは一度いちども話をしなかったのだが、3か月後、偶然パチンコ店で再開することになる。会うのは2度目、しかも話すのは初めてだというのに、彼はこう言った。
「車検代10万円を貸してくれ」
  当時、私は19歳。19歳にとって10万円というのは大金のはずだが、パチプロだった私にしてみれば1日打てばなんとか稼げる額。それにお金の本当の価値も知らず、かなりのお人よしでもあった。
  そこでサイフに入っている札束から10万円を渡してやった。特に何も考えず、証文もなしで、ほとんど見ず知らずに近い佐藤に貸してやったのだ。
  佐藤は、まさか貸してもらえるとは思っていなかったらしく、驚きながらもうれしそうで、何度も頭を下げながら「絶対に返すから」と言いながら帰って行った。
  だが、というか、やっぱりというか、彼は返しには来なかった。人間、借りるときは神様でも返すときには鬼と呼ばれる。彼もまた、そんなふうに私のことを考えていたのかも知れない。
  もう返してもらうことなど期待していなかったのだが、3か月後、またも彼と偶然会った。意外にも、その場で10万円を返してくれた。
  このときから彼との付き合いが始まった。会うのは3度目、しかもロクに話もしていない仲だった訳だが、金を借りた方と貸した方とで小さな信頼関係が生まれた感じだった。
  付き合いを始めると、かなり気が合うことが分かった。毎週のように、つるんで遊んだ。遊ぶ金を出すのは私だ。夏は海、冬はスキー。どこへ行くにも佐藤は、毎回違う女の子を連れてきた。佐藤は酒を飲むと陽気になり、ディスコダンスが上手くて、とにかくモテたのだ。
  その後、佐藤は一部上場企業に就職した。佐藤は当時流行していた「ジュリアナ」へと通うため、東京でサラリーマンとなっていた私のアパートへとよく泊りに来たものだった。
  ある週末のことだ。いつものように金曜の夜を遊びまくり、私のアパートに泊まった佐藤を競馬場へと無理やり連れて行った。最初は嫌がっていたが、次の週末も競馬場へと誘った。
  そうして何回か連れて行くうちに、佐藤は競馬というギャンブルの虜になった。そのうち、ボーナスをもらうとそれをすべて持って我が家へとやってきて「明日は競馬場だ」と自分から言う始末。さすがは一部上場企業、佐藤のサイフには100万円くらい入っていた。
  よく行ったのは中山競馬場だ。地下の食堂でぐでんぐでんに酔っ払いながら競馬をやるのがふたりの楽しみだった。私はもうその頃にはすでに結婚していて、前述の通り数百円ずつしか馬券を買わなかったのだが、佐藤は飲むと気が大きくなり、1点1万円ずつなどという買い方をしていた。高額を賭けるスリルが楽しいようだった。

 佐藤は酔っ払うと、隣で飲んでいるおじさんともよく気さくに話していた。おじさんは多額の馬券を購入している佐藤に驚いていた。
「俺は家を建てる気で競馬をしているんだ」
  そう豪語するのが佐藤の口ぐせだった。
  私がタイム理論の精度を上げながら競馬をしていたのに対し、佐藤は特別な予想法を持っていた訳ではない。見るのは馬番と印だけ。馬名すら見ていなかった。佐藤が好きだったのは、△と▲が1つずつ付いている馬だった。「…△▲…」というような、ちょっとした穴馬である。ただし、根拠などまったくない。
  こんなこともあった。ある日の最終レースでのことだ。
「獲った!」
  と、佐藤が大きな声をあげた。スタンドがざわついていることからも分かるように、人気薄の2頭が1着と2着に飛び込み、高配当間違いなしの結果だった。
「これはかなり付くよ! いくら買ったんだい?」
  私がそう聞くと、彼は1万円の馬券を得意げに見せた。
「どうしてまったく無印どうしの馬を買えたの?」
  驚きながらそう聞くと、佐藤は「俺の新聞は、△と▲だ!」と手に持った専門紙を広げる。おかしい。私も彼も同じ新聞を使っているはずなのに。
  よく見ると、彼は他場の最終レースの出馬表を指差していた。なんと佐藤はレースを間違えて馬連300倍を的中させていたのだった。

 冬のボーナスが出た頃、また佐藤が来た。12月の中山競馬場の地下1階に陣取り、例によって飲みながら競馬をやった。メインレースまで佐藤に的中はなくションボリしていた。かなり負けているなと思ったが、あえて聞かなかった。
「仲谷! メインは何が来るんだい?」
「ルール値でいうと、穴なら○○○と***かな?」
「そんな馬、来ね~よ」
  そんな、たわいもない話をしていた。
  ところがそのレース、なんと私が話していた2頭で決まったのだ。配当は馬連4000円で、私は500円的中した。喜びよろこびあふれる顔で佐藤を見ると、彼はガクガク震えている。佐藤は私が言った2頭を1点で30万円も買っていたのだった。
  初めての1200万円以上の払戻し。的中馬券を差し出すのは、もちろん高額払戻し窓口だ。配当を手にするまでには予想以上に時間がかかった。皆みんながわれわれふたりを見ていた。
「よし! これで夜は豪遊しよう」
  私はそう言ったが、1200万円を持った佐藤の頭はハイテンションになっていた。佐藤は何も言わずに最終レースのマークカードを書き始めたのだ。
「今日はやめとけ」
  もう彼は聴く耳を持たなかった。1点数万円ずつで何枚もマークカードを書いていく。締め切り1分前にあわてて窓口にマークカードを出した。彼自身もいくら買ったのか分からない。
「850万円です」
  窓口のおばさんも震えながら言った。佐藤は無造作に札束を窓口へと入れた。
「お客さん、40万円多いですよ~」
  佐藤は本当に家を建てるために馬券を買っているようだった。
  結果は不的中。馬券は何枚もあって、1枚ずつ何度もふたりで見直したのだが、やっぱり不的中だった。それでも佐藤には350万円が残った。
  プラスはプラス、しかも大幅プラス。しかし、もはや豪遊する雰囲気ではなかった。佐藤は、大金を持っているのでまっすぐ帰ると言った。私もそれにならった。
  佐藤からご祝儀に8万円もらったので、妻にプレゼントとしてネックレスを買って帰った。しかし、その日にあった情報処理技術者の試験をさぼって競馬場に行っていたことがバレて、感謝されるどころか往復ビンタされたのだった。

酔いどれ馬券師の転落とステップアップへの決意

 妻に怒られた私はしばらく大人しくしていたのだが、有馬記念の前日に佐藤から電話がかかってきた。もちろん用件は競馬だ。有馬記念の馬券を買って欲しい、金は後で払うと言う。頼まれたのは1万円分だ。この前の350万円のことを聞くと「そんな金はもうない」と佐藤は言った。
  妻に「当たればいいけど、ハズレたらたぶん佐藤さんはうちに来なくなるよ!」と言われた。
  ふと、車検代を貸したときのことが頭をよぎった。
「毎日会いたい大好きな貴方、できればツケにしてあげたいけれどツケにすれば貴方は来なくなる」
  どこかで見た、飲み屋のそんな張り紙を思い出した。
「この前もらった8万円のご祝儀で買ってあげるんだよ」
  私はそう言い訳をすると、翌日、佐藤の馬券を買いに行った。
  そして馬券はハズレた。あえて佐藤には電話しなかった。佐藤からの電話もピタッと来なくなった。「金を少し貸したくらいで連絡してこなくなる友達とは付き合いをやめろ」
  妻がそう言うのも、もっともかも知れない。
「もうすぐ連絡があるよ」
  だが、そのまま3年の月日が流れたのだった。

 佐藤は突然現れた。私の留守中、家の玄関に佐藤が来て、私に至急連絡したいと言っているとのことだった。数年ぶりの友達からの連絡、その用件はたいていが「金」ということは分かっていたが、私は携帯電話の番号を教えるよう妻に指示した。
  佐藤とは東京駅で待ち合わせた。話によると、佐藤は異例の早速さで課長まで出世したものの、1年前に会社を辞めたということだった。それからは何をやっても上手くいかず、いろんな仕事を転々として昨日まで大阪にいたという。会社ではエリート社員だったかも知れないが、特別な技術を持たない人間は、外の世界で挫折しやすいのだなと思った。
  婚約同然だった佐藤の彼女のことを聞いたら、1年以上会っていないと言う。うちには彼女からの年賀状が届いたことを伝えると、佐藤は悲しそうな顔で下を向いた。
  佐藤は2万円貸して欲しいと言ったが、私は持っていた4万円をすべてあげた。そして、その金は返さなくていいと念を押した。
  1週間後、佐藤からまた電話があった。まだ東京にいるとのことだった。
  聞けば、いい仕事が見つかった、ただし仕事を始めるための金が必要で、それについてはすぐに返せるから、ぜひとも貸して欲しいという。
「仕事の内容は?」
「女性の相手をすることだ」
「ホストか?」
「違う。会員制のクラブみたいなものだ。俺は会員の女性と会い、食事したりホテルに行ったりしてお金をもらうんだ。ただ、保証金に50万円かかる。もう手付けとして1万6000円を払ってしまったから、いまさら引き下がれない」
  それは詐欺に違いないと佐藤に言ったが、彼は信じなかった。
  さすがに私も、そんなことで金を貸すほどのお人よしではなくなっていた。それでも佐藤は日に何度も電話をかけてくる。祖母の葬式で実家に帰ったとき、そこにも佐藤は電話をしてきた。電話のたびに私は「1万6000円は捨てろ」と言ったのだが、まったく聞こうとはしなかった。
  しばらくして佐藤からの電話は、またもピタリと途絶えた。人づてに聞いたのだが、佐藤は酔って暴力事件を起こしたために会社を追われたそうだった。
  他人事ではない。私だってクレジットカードで危ない目にあっている。ちょっとした気の緩みが人間を奈落の底まで転落させてしまうものだと思った。
  そんなことを避けるためにも私は、いま取り組んでいる予想理論の精度アップを果たさなければならない。競馬で負けることをなくし、できればそれ以上、つまり競馬で稼げるようになりたいと真剣に考えるようになったのだった。
  さらに1年後、佐藤から金を返したいと電話があった。怪訝に思いつつも、私は彼と会うことにした。待ち合わせ場所に、佐藤はおかしな歩き方でやってきた。
  一部上場企業の課長だった佐藤は、堅気の人間でなくなっていた。
  もう普通の付き合いはできないと思った。

逆境を救ったスーパーマンそれは転機の瞬間となった

 仲谷式タイム理論の性能は、頭打ち状態になっていた。
  負けることはなくなったが、大きく儲かることもない。指数の上位馬だけを中心に買うと持ち金はコツコツ増えるのだが、なにしろおこづかい制のサラリーマン馬券師、賭け金は少ないので、高額払戻し金の窓口に並ぶことなど夢のまた夢だった。
  毎月若干のプラス。ただし競馬場までの交通費や食事代を差し引くとマイナスになるくらいだ。それでも競馬場へ行くときのサイフには1万円くらいあれば十分だった。
  この頃の私の目標は「少なくとも毎月3万円以上はプラスにしたい」というものだった。おこづかい制のサラリーマン馬券師としてランクアップを目指していると言えた。そして、何としてもお金を貯めて賭け金を大きくしたいとかった。焦っていた。
  その日の朝、早いレースに勝負馬がいた。ルール値の算出はレース前日の夜に行なっていたのだが、出走メンバー中で1頭だけ値が抜けているような馬が見つかると、いても立ってもいられなくなる。勝負レースは1日に、あっても1レースか2レースだ。特に今回のレースには自信があった。
  いつもよりだいぶ早く、午前6時には目が覚めてしまった。まだレースまでには時間がある。しかし、もうじっとしてはいられない。机の中には、いままでコツコツ貯めた10万円があった。その10万円をサイフに入れて、私は馬券売り場へと自信満々で出かけたのだった。
  競馬に絶対はない。
  馬券はハズレることを前提に資金を分散させなければいけない。
  そういうことを何度も失敗して分かっていたから、その頃の私は、自分の買い方に掟を作っていた。普通のレースは1レース1000円まで、勝負レースは3000円までと予算を決めて馬券を買っていたのだ。
  しかし、この日の勝負レースはどう見ても鉄板だった。ルール値が抜けていた。抜け切っていた。どうしてもこのレースには3000円以上ぶち込みたかった。
  急遽「鉄板の勝負レースは1レース2万円まで」と、新しい掟を自分の中に作ることにする。
  結果は、ご想像通りである。
  大きく賭ければ、大きく儲けられる。その儲けで、また大きい賭け方ができる。そんな焦りは禁物だったのだ。コツコツと貯めた資金を一気に減らしてしまった瞬間だった。
  人間は、いったん道を踏み外すと脆く崩れやすいと思う。堅気の人間でなくなった佐藤に限らず、誰しもその素質や可能性は持っているのだ。
  鉄板勝負レースで失った資金を取り返そうと私は熱くなった。その日、本来なら予算1000円の普通レースが次々に1レース3000円の勝負レースへと変わって行った。
  掟を無視するくらいまで冷静さを失い、それで当てられるほど競馬というものは甘くない。メインレース前、私のサイフには1000円札が2枚と小銭しか残っていなかった。
  必死の思いで、何か月もかけて貯めた10万円が、たった1日で2000円になってしまった。来週からは昼食代をガマンすることにしようか……。
  私の夢は、馬券で固定収入を得ることだった。そのための第一歩として厳しい掟を定めたのに、それを自ら破り、いままで貯めた競馬貯金を1日でゼロにしてしまおうとしている。情けなくって、惨めな気持ちになった。目から涙がこぼれてきた。
  その日のメインレースは、新潟の名物レース・関屋記念。ルール値1位はメジロカンムリで、単勝オッズは2・3倍だった。帰りの交通費として1000円を残すとして、賭けられるのは残りの1000円。それでメジロカンムリの単勝を買っても、2300円にしかならない。朝、意気揚々と家を出たときには10万円を持っていたのに、それにはほど遠い金額だった。
  涙目になりながら、モニターに映し出されるパドック中継を見つめる。1頭の競走馬が私の目にとまった。
その馬のメンコには「S」の文字がきらりと光っていた。
  マイスーパーマンだ。
  ルール値は5位で、単勝オッズは90倍。指数5位なら10回に1回くらいはあるかも……。半分やけくそで、私はマイスーパーマンの単勝を1000円買ったのだった。
  結果は、マイスーパーマンが内から抜け出して見事に1着。単勝9260円、馬連4万1630円という大波乱の決着となった。
  頭の中は、初めてと言っていいほどの高配当的中を手にした興奮と、軽い気持ちで掟を破ってしまった自分に対する情けなさとで混乱していた。複雑な心境になった。競馬をやるようになってから初めて、最終レースを買わずに帰路についた。
  馬券は、いちばん強いと思った馬を買うことが必ずしも正解ではない……。
  帰りの電車の中で、何か大きなものを掴んだ感じが込み上げてきた。

※現在の仲谷式ルールと当時の指数計算方法とは異なるため、仲谷式ルールにおけるマイスーパーマンのルール値順位は5位ではありません。

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■1994年8月7日 2回新潟8日目・11レース 第29回関屋記念

1着 9 マイスーパーマン 13番人気
2着 11 システィーナ   4番人気
3着 2 ベルシャルマンテ 7番人気
4着 5 ビッグファイト  9番人気
5着 13 キタサンテイオー 2番人気

単勝 9    9260円
馬連 9-11 41630円
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その馬が勝つ確率さえわかれば買うべき馬券が見えてくる

 月曜日、勤務先に向かう電車の中で、なぜマイスーパーマンを買って儲かったかを考えてみた。
  マイスーパーマンの能力値は5番目だったが、人気は13番目。つまり能力の割に低評価、本当はもっと強いのに人気がない馬だったということになる。
  それからの私は、この思考をなんとか計算式で表せないかと奮闘した。
  能力順よりも人気順が大きければ買い、というのはどうだろう。あるいは人気順が能力順より2つ大きかったら? 最初に考えたのは、そんなロジックだった。
  しかし同じ5番人気でも、単勝オッズが6倍くらいのときもあれば30倍のこともある。
  ルール値の順位だってそうだ。大きく抜けた馬からかなり離された5番目と、トップから5番目まで差が少ないときとでは、「5番目」の意味がまったく違うことに気がついた。
  単純に「何番目だから」ということではなく「このルール値なら勝つ確率は何%」という考え方かたをしなければならないのではないか。
  仮にマイスーパーマンが1着になる確率を、あのとき私が思い込んだように「10回に1回」、すなわち勝率10%だったとすると、どうだろう。
  単勝オッズが10倍だったら、プラスマイナスはゼロになる計算だ。マイスーパーマンが毎回「10回に1回は勝つ」という確率で10回走ってくれたとして、単勝を1000円ずつ10回買えば投資額の合計は1万円だ。そのうち実際に勝つのは1回で、払戻しも1万円。よってプラスマイナスはゼロという訳である。
  だが、あのときのマイスーパーマンの単勝は約90倍だった。マイスーパーマンが勝つ確率を「10回に1回」だとすると、10回に1回は90倍の馬券が当たることになる。1000円ずつ買った場合、1万円使って払戻しは9万円だ。
  つまりマイスーパーマンは回収率900%の馬だった訳である。
  そこで私はさっそく、競走馬が1着になる確率を計算するプログラムを作り、その結果を表示する機能を「仲谷式競走馬分析システム バージョン3」に追加した。
  次いで重要となるのが「じゃあ、その馬を買って本当に儲かるのか?」という点だ。もしマイスーパーマンの単勝が9倍だったら、1000円ずつ10回買って計1万円、そのうち1回だけ勝って払戻しは9000円。収支はマイナスになる訳で、買う意味はない。
  ここで取り入れたのが「損益分岐点」と「期待値」という考え方だ。具体的には下のような計算である。そしてこれらの計算結果を「仲谷式競走馬分析システム バージョン3」に表示させるようにした。「期待値」が100%以上の馬=買って儲かる馬がどれなのか、ひと目で分かるようにした訳である。

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損益分岐点オッズ=100÷的中率
期待値=実際のオッズ÷損益分岐点オッズ×100

●マイスーパーマンが1着になる確率(単勝を買った場合に的中する確率)を10%とした場合

損益分岐点オッズ=100÷10=10
→実際のオッズが10倍以上なら買いのゾーン

期待値=90倍÷損益分岐点オッズ10×100=900%
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 もちろん、馬券は単勝だけではない。「仲谷式競走馬分析システム バージョン3」の改良に取り組んでいた当時、まだ3連単や3連複はなく、馬券の主流は馬連だった。私が買っていたのも主に馬連だ。そこで馬連の的中率を、左ページのような方法で求めることとした。
  これで計算すると、マイスーパーマンとシスティーナの馬連が的中する確率は2・46%で、このときの損益分岐点オッズは40・65倍。これ以上のオッズをつけていたなら「買い」、儲かる馬券ということになる。
  実際にはこの馬連のオッズは400倍を超えていて、期待値はなんと1024%。かなりおいしい組み合わせだったことが分かった。いまなら迷わず、この馬券を買っていることだろう。
  すでに「RATE BUSTER!」に親しんでいる方ならお気づきだと思うが、まさにこの「期待値の高い馬や組み合わせを探して買う」ということが、私の馬券術の基本事項である。いちばん強い馬を買うのではなく「期待値の高い馬」を買う、「儲かる馬券を買う」わけ訳である。
  そうすることで、はじめて儲かる。そうしないと儲からない。
  私はこのことに気づくまで、実に5年の歳月を要してしまった。
  この日から競馬における「期待値」の研究を始めたのはもちろんのこと、私の収支が大躍進を始めたのもこのときからだった。
  涙目になりながら、やけっぱちになって買ったマイスーパーマンの単勝。運のいいことにマイスーパーマンが勝ってくれて、手にすることのできた9万2600円。それがキッカケとなって、競馬で確実に儲ける方法へと歩み出したのである。
  意志が弱く、鉄の掟を破った結果として偶然にも得た方法論だったわけだが、いまでは「儲かる馬券だけを買う」ということが、私にとっての鉄の掟となっている。まさか、この新しい掟によって数年で馬券による儲けが数千万円にまでふくれ上がるとは、まだ夢にも思っていなかったのだが。

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■馬Aと馬Bの馬連が的中する確率

【馬Aが1着、馬Bが2着になる確率】
馬Aの単勝率×(馬Bの単勝率÷100%-馬Aの単勝率)

【馬Bが1着、馬Aが2着になる確率】
馬Bの単勝率×(馬Aの単勝率÷100%-馬Bの単勝率)

この2つの合計=馬Aと馬Bの馬連が的中する確率

●マイスーパーマンの単勝率を10%、システィーナの単勝率を12%とした場合

【マイスーパーマンが1着かつシスティーナが2着となる確率】
マイスーパーマンの単勝率10%×(システィーナの単勝率12%÷100%-マイスーパーマンの単勝率10%)=1.33%

【システィーナが1着かつマイスーパーマンが2着となる確率】
システィーナの単勝率12%×(マイスーパーマンの単勝率10%÷100%-システィーナの単勝率12%)=1.13%

マイスーパーマンとシスティーナの馬連が的中する確率
1.33%+1.13%=2.46%

この馬連の損益分岐点オッズ
100÷2.46%=40.65倍

この馬券の期待値
416.3倍÷損益分岐点オッズ40.65倍×100=1024%

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オッズの歪みに目をつけた谷岡さんの枠連大作戦

 世の中にはいろいろな人がいるものだ。
  私は「仲谷式競走馬分析システム バージョン3」の改良に日夜取り組み、と同時にコンピューターソフトウェア開発の会社でサラリーマンとしての仕事も続けていた。
  当時、私が担当している顧客の責任者に谷岡さんという人がいた。谷岡さんとは単に仕事の話をするだけではなく、いっしょに飲みに行くような仲になっていた。
  この谷岡さんも競馬が好きだという。しかもただの競馬ファンというだけでなく「競馬を利用した投資を実践している」とのこと。まさに私が考えている道を谷岡さんも突き進んでいる訳で、さらに話は盛り上がり、「今度いっしょに競馬場へ行きましょう」ということになった。
  驚いたことに谷岡さんは、競馬新聞をまったく見ない。見るのは競馬場のモニター、あるいはオッズプリンターで出力したオッズだけ。レース直前の馬連オッズと枠連オッズを確認しているのだ。
  この頃は、現在のように3連単や3連複、馬単などはなかった。馬券の主流は馬連だ。馬連が登場する前に主流だった枠連は、逆に衰退している状態だった。
  谷岡さんは、こう言う。
「いま主流の馬連オッズにこそ、馬の能力が現れている。逆に枠連は歪んだオッズになっていて、馬券の下手な人が買っているんじゃないだろうか」
  そうした考えをもとに、買い目を決めているそうなのだ。
  谷岡さんはまず馬連のオッズを調べ、下のような方法で全馬について売上げ票数の概算値を求める。票数が多いほど、皆みんなに期待されている馬、強い馬という訳だ。
  そして売上げ票数の概算値の計で各馬の売上げ票数の概算値を割る。これが各馬の能力パーセンテージだ。
  次に、この能力パーセンテージを枠連に当てはめて適正な枠連オッズを計算する。ところが実際の枠連オッズは、この適正オッズと一致しない。それは、競走馬の能力をしっかりと考えられない馬券下手な人が枠連を買っているせいだと谷岡さんは考えているのである。
  そこで谷岡さんは、適正な枠連オッズより高い(歪んでいる)枠連オッズの買い目だけを購入していたのだ。
  1つの枠に1頭ずつ入っているだけなら、単純に馬連と枠連のオッズを比較するだけで「どっちが得か」ということは分かり、得な方の馬券を購入することができる。だが1つの枠に2頭、3頭と入った場合、馬連と枠連のどちらを買えばいいのか、オッズをただ眺めているだけの競馬ファンには分からないだろう。そこを谷岡さんは突こうという訳である。
  谷岡さんは、自前でプログラムを作ってポケットコンピュータに仕込み、直前のオッズを打ち込んで購入する馬券を決めているのだった。

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■谷岡さんが考えた各馬の評価方法

【1番の馬を評価する方法】

75÷馬連1-2のオッズ = 1-2の売上げ票数の概算値

※75は100-テラ銭25%を示した仮の値
  この方法で馬連1-2、1-3、1-4……と調べていく

1-2~1-16の売上げ票数の概算値の計 = 1番の馬の売上げ票数の概算値
これを1番の馬から16番の馬まで計算する

【ある馬の能力パーセンテージ】

その馬の売上げ票数の概算値 ÷ 全馬の売上げ票数の概算値の計

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 かなり地道な作業である。が、その回収率は数年間に渡って110%以上をキープしているとのことだった。
  なるほど! おもしろい!
  私は、帰ってからすぐに谷岡さんから聞いたロジックをプログラム化し、「仲谷式競走馬分析システム バージョン3」に組み込んだ。ただ真似をするだけではなく、馬連で能力比較した結果と単勝オッズ・複勝オッズとを比較できるように応用した。
  つまりAという馬の馬券を買いたいとき、Aの単勝、Aの複勝、Aから総流しの馬連または枠連、どれがいちばん得になるかを比較する機能を追加したのだった。
  ただし当時のJRA-VANではリアルタイムオッズは提供されていなかった。かと言って、すべてのオッズを手入力するのは時間がかかる。PAT経由で取得する方法も考えたが、現在のようにインターネットを利用したシステムではなかったため、1回オッズを取得するごとに電話代10円がかかってしまうことが気になった。1日に36レース、しかも念には念を入れて1レースにつき複数回オッズを取得するとしたら、その電話代だけでも数百円になってしまって馬鹿にならない。
  そこでパソコンに文字放送チューナーを組み込むことにした。文字放送で受信したオッズ情報をテキストデータに変換、それを「仲谷式競走馬分析システム バージョン3」に読み込ませるというプログラムを作ったのだ。文字放送チューナーのための出費は痛かったが、文字放送の受信そのものは無料。すぐにモトは取れるだろう。
  競馬で儲けようと考えるなら、ただ「強い馬を買う」だけではダメ。その馬が勝つ確率とオッズとを比較して「儲けられる馬を買う」ことが大切だ。私は「より儲けられる馬券」を見つけ出すための努力をいとわなかった。現在でも、このときに得たノウハウは[合成オッズ]として最新ソフト『RATE BUSTER!GOLD』の中で生きている(第3章参照)。
  そう言えば「仲谷式競走馬能力分析システム バージョン1」の頃には、まだJRA-VANもなくて、「専門紙チェック」と全競走成績(関東分のみ)をパソコンに手入力していた。それを3年以上も続けたのだ。インターネットの普及、JRA-VANでのリアルタムオッズ情報の配信など、便利な世の中になった現代から考えると、当時の私はずいぶんと工夫と苦労を重ねたものである。

私にもっとも影響を与えた男蕎麦屋になった渡辺の方法

 さまざまなアイディアを取り入れながら「仲谷式競走馬分析システム バージョン3」に改良を重ね続けた結果、馬券成績は着実に上がり、競馬貯金はかなり増えた。あらためて鉄の掟にしたがうようにもなり、負けても熱くなることはなく、競馬を冷静に見られるようにもなった。
  私はすでに自分の予想にかなりの自信を持つようになっていたが、ある人物のある言葉がどうしても耳から離れなかった。
「レースをすべてVTRに録画しておいて繰り返し見ると、レース中の不利、騎手のコース取りのミスなどが分かって、その馬の本当の実力も分かるようになるんだ」
  言葉の主は、渡辺という悪友である。
  渡辺との出会いや彼から得た馬券術のアイディアについては前著『直伝! 億の馬券術』に詳しい。ぜひともお読みいただきたい。その前著の中で私は、何度も渡辺のことを「天才」だと評した。ギャンブルに関しては、私より渡辺のほうがはるかにセンスは上だろう。
  なにしろ彼は、タイム理論を自分で編み出してしまった男だ。スローペースでは指数を補正しなければならないということにも直感的に気づいた男だ。そんな渡辺が「VTRを見るべき」と言うのである。
  少し時間を飛ばそう。
  実は渡辺のことを本に書いたら「競馬最強の法則」編集部が興味を持ち、誌面で紹介しようということになった。もう付き合いをやめた佐藤とは違って、渡辺と私はいまでも良き友人どうしだ。渡辺もこの話を快諾してくれた。そこで編集者とともに、渡辺のもとへ行くことになったのである。
  いまや渡辺は、私と遊びまわ回っていた頃の渡辺ではなく、ふたりの子宝にも恵まれ、茨城県古河市で元気に手打ち蕎麦屋を経営している。ただし、競馬はやめていなかった。競馬場やWINSのない地方にいる訳だが、PATがあるので馬券は買える。
  そして、さすがは天才。家族と定職を持ったこともあって以前のように無茶な賭け方はしていなかったものの、馬券の収支で家計を助けていた。
  渡辺の方法論は、それほど難しいものではない。
「基準タイムを設定し、そこから何秒早いかを計算して競走馬の能力を判断する」
  つまりタイム理論そのものである。
  ただし渡辺は早い時点で「ただそれだけではダメ。スタートで出遅れたり、すべてのコーナーで外に膨らんだりした馬は上位に来ないし、タイム指数も低くなる。でも、そんな無理なレースをして惨敗した馬こそ逆に次走で狙いとなる」といったことにも気づいていた。そこで「レースをすべてVTRに録画しておいて繰り返し見る」ことになるのである。
  ところがいまの渡辺は蕎麦屋を経営する身。帰宅は夜の9時を過ぎることもあるという。いちいち自前で基準タイムを設定するような時間はない。
  そこで渡辺は、競馬ファンなら知らぬ者はいない超有名な競馬データベースソフト『TARGET frontier JV(以下TARGET)』を利用している。渡辺が「なんとか自分の方法論を簡単に実践できる手はないか」と考えていたときに、私がこのソフトを紹介してやったのだ。
  この『TARGET』には、基準タイム/補正タイムという機能が搭載されている。詳しくは『TARGET』のマニュアルをご覧いただきたいが、簡単に言うと基準タイムとは、いわば「そのレースでは、どれくらいのタイムで走れば勝ち負けできるか」を示した値だ。補正タイムは、基準タイムに対してその馬がどれくらいの割合で走ったかを示す値である。
  当然、レベルの高いレースで後続を大きく離して勝てば補正タイムは高くなるし、大負けすれば低くなる。まさしくタイム理論である。
  だが『TARGET』の補正タイムについて渡辺は「各馬のレースぶりや受けた不利などが、必ずしも反映されている訳ではない」と考えている。そこで自分の手で微調整を施すのだ。
  もちろん『TARGET』では、ユーザー自身が補正タイムを入力することも可能となっている。補正タイムを補正する、といったところである。

 そのために渡辺は、グリーンチャンネルで放送される「先週のレースリプレイ」や「ザ・パトロールビデオ」を録画、仕事を終えて帰宅した後のわずかな時間を利用して1レースずつ各出走馬の走りをチェックしている。
「1頭ずつ、そのコース取りだとコンマ何秒くらい損しているかを見るんだ。その損した分だけ補正タイムを底上げしてやればいい。それがその馬が持っている本来の力であるはずなんだ」
  渡辺はこうして、自分だけの補正タイムを作り上げていく。それをもとに各馬の能力を比較して買い目を決定する、という訳である。

膨大な努力と少しの工夫が勝ち組となるためのカギだ

 渡辺にしろ、先ほど紹介した谷岡さんにしろ、ずいぶんと予想に手間ひまをかけている(私も他人のことは言えないが)。が、その手間こそが予想の精度を上げ、回収率を上げるためには必要なものなのだ。
  また渡辺は、予想するレースを500万下のダート戦だけに絞っている。
「芝のレースでは馬場状態が大きく変わる分、その巧拙とか、内と外の芝状態がまったく違うとか不確定要素が増えて基準タイムや補正タイムも不正確になる。レースを絞った方が、VTRをチェックする量も減らせるしね」
  そんなわけで1日の作業量も1時間くらいで済すむそうだ。
  さらに渡辺は、脚質別に成績をまとめたり、脚質を判断するためにやはり『TARGET』に搭載されている「Ave-3F」という値を利用したり、複勝/ワイド/3連複を中心にして(3連単や馬単より当てやすいが、配当は低い)収支の波を減らしたり、各地方競馬場ごとのレベルを調べたり、あらかじめ馬券に使える月額予算を決めたり……といった工夫も怠らない。
  本当に頭の下がる思いであり、天才というのは、こういう地道な努力から成り立っているのだなぁとあらためて感じ入ってしまう。
  では、なぜ渡辺は、本職で忙しいというのに、こんなにも膨大な努力を続けられるのか。かつての私が破ってしまった「予算を決める」という掟も守り続けられるのか。
「ただ馬券を買って、ただ当たるだけじゃイヤなんだ。自分自身の“予想”で何とかしてやろうっていう思いが強いんだよね」
  その思いを強く抱くからこそ、努力は持続し、長く競馬を楽しむための「資金配分」という工夫も可能になるのだろう。競馬に対するスタンスの面でも、渡辺は私の心の師匠である。

一念発起! 馬券生活への挑戦それが勝利への決定打となった

 時間を戻そう。私は渡辺が言った「レースをすべてVTRに取っておき、繰り返し見る」という言葉が気になって気になって仕方がなかった。
  だが、私はサラリーマン。実践するためにはどうしても時間が足りなかった。
  1レースにつき12頭が出走したとして、1日36レースで400頭以上、土日あわせて800頭以上にもなる。いまではこのVTRチェック作業にスタッフといっしょに取り組み、1頭ずつについてルール値を補正していて、その努力があるからこそ[仲谷式ルール]は、競走馬の能力を正確に算出する方法論として機能していると言えるのだが、会社勤めを続けながら私ひとりでやるというのは、とうてい不可能だ。
  思い悩んだ挙句、ある日、私は妻にこう切り出した。
「会社を辞めようと思っている」
  妻は心配そうに「会社で嫌なことがあったの?」と訊ねてきた。私は正直に渡辺から聞いた方法について説明し、その方法を実践するためには会社を辞める以外に道はないと言った。
  当然のごとく妻は猛反対した。
「生活が保証されている会社勤めをやめて馬券生活をするなんて、とんでもない! 会社に行きながらでもできる範囲で競馬を楽しめばいいじゃない!」
  妻の怒りも、もっともだ。私はどう説得するべきか数日間考えた。そして、それまでに競馬で貯めた金をすべておろしてきて、妻の前に置き、こう言ったのだ。
「ここに、いまの年収の3年分のお金がある。だから3年だけ挑戦させて欲しい」
  妻は最後の最後まで反対したが、結局は折れて「3年だけ」という条件で納得してくれたのだった。
  馬券生活は、研究のために十分過ぎるほどの時間を与えてくれた。レースを自分の目で見て、気になる要素を補正項目としてピックアップし、実際に数値を調整して、その調整が本当に有効かどうかのシミュレーションを繰り返す日々が続いた。
  その結果、どんな補正を施せばいいのか、少しずつ分かってきた。詳しくは第2章で述べさせていただくが、展開についての補正(スローペースで逃げた馬とかハイペースで追い込んだ馬は展開に恵まれたと考えてマイナス補正するべき)やスタートと道中の不利に関する補正(出遅れた馬や道中で不利を被った馬は実力を発揮しきれていないと考えてプラス補正する)、コーナー通過位置による補正(4コーナーで外をまわった馬にはプラスしてやる)などが、どうやら有効なようだった。
  これらは渡辺の言う通り、実際にレースを見なければ分からないことである。タイム指数などはパソコンで自動的に計算することができ、いわばデジタル的な数値だといえるが、それに対して補正項目の数々は、人間が自分の目で見て判断するアナログ的なものだと言える。
  そして、このデジタルとアナログとを合わせて考えることが[仲谷式ルール]の基本となっており、「仲谷式競走馬分析システム バージョン3」が「RATE BUSTER!」という進化形へと変貌を遂げる原動力ともなったのである。

投資としての競馬を実現だが挑戦は、まだまだ続く

 さらに、レースをいくつかのタイプに分けてシミュレーションを繰り返した結果、ある種のレースでは儲からないことが分かってきた。
  それはズバリ、キャリアの少ない競走馬が多く出走するレースである。
  まず、まったく出走キャリアのない新馬戦では、当然ながらルール値を計算することなどできない。私の方法論は「各馬の過去のレースについて、タイム差をもとにルール値を計算する」ことが前提となっているから、新馬戦を予想することはできない訳だ。
  加えて、1戦しかしていない競走馬においても、そのルール値は信頼度が低いということが分かった。デビュー戦というのは、まだ仕上がっていない状態でレースに使うこともあるし、距離・トラック・脚質などの適性が分からないまま出走して惨敗するケースもある。ところがそんな馬でも、次走では一変してしまうのだ。1戦目のルール値がまったく参考にならないことが多いのである。
  新馬戦で勝った馬についても同様だ。力の違いで新馬戦を圧勝する馬というのは、直線でまったく追われていない場合がある。もし一杯に追われたら、どれくらいのタイムが出たのか。そのノビシロは判断できないのである。
  私は、競走馬の能力を走破タイム差から導き出す方法論に磨きをかけていった。
  算出された数値を、VTRを参考にしながら補正する技も身につけていった。
  どんな数値の馬が、どれくらいの勝率を残すのかというシミュレーションも進んだ。
  勝率とオッズによって「買うべき馬」を決めるという方法論を徹底した。
  買ってはいけないレースがあることも学んだ。
  そうしながら回収率を着実にアップさせ、馬券で生活することも可能になったのだ。当たるかハズレるか分からない、儲かるか損するか分からない“あいまいなギャンブル”だった競馬が、安定してプラス収支になる“投資”に変わったのである。
  買ってはいけないレースについて、もう1つ例をあげておこう。芝のレースである。特に不良馬場や最終週のレースで勝負するのは禁物だ。
  芝の不良馬場は、ダート戦に比べて得手不得手がはっきりするレースである。思わぬ穴馬が激走したり、本命馬が馬場に脚を取られて惨敗したりするしてしまうことがよくある。過去のルール値があてにならない訳だ。
  また秋の福島競馬では、最終週には芝が完全にはげてしまい、芝というより土の上を走っている状態になる。わずかに緑の残った外側を通った馬ばかりが勝つ追い込み競馬になることもあるし、逆にほとんどの馬が大外を回まわり、1頭だけ最内を通ってきた馬が勝ったりもする。通る場所によって勝ち馬が変わる「くじ引き」のような事態になってしまうのだ。
  こんな状態だと、ルール値は信頼が置けないものになる。また、土のような馬場で好走しても次走では好走できるかどうか分からないので、ますます予想は難しくなる訳だ。
  芝に比べてダート戦では、こういうことは少ない。ときにはコースの内側の方が外よりも砂が深かったり、その逆もあったりはするが、全体として芝よりも均質である。また芝よりも不良馬場の得手不得手が少ないとも言える。芝よりもダートの方が「能力通りに決まる可能性が高い」のだ。実際、同じようにシミュレーションをしてみても、芝よりダート戦の方が回収率は高くなる。
  多くのグレードレースは芝で行われる訳で、儲からないと思っても買わずにはいられない。しかし競馬を投資として割り切ったとき、簡単に見送れるようになった。
  儲からない可能性が高いレースより儲かる可能性が高いレースのみ買う。それが投資だからだ。
  いっぽうで、こんなふうにも感じるようになった。
「競馬がダート戦だけだったら、もっと儲かるのになぁ」
  が、よく考えてみると、ダート戦ばかりやっている競馬があるじゃないか。地方競馬だ。さっそく私は「RATE BUSTER!」地方版の開発に取りかかったのである。
  もともと私は地方競馬が大好きで、大井で行われる重賞はほとんどナマで観戦しているくらいだ。さらに「RATE BUSTER!」では、地方の馬が中央のレースに出てきたとき、あるいは中央の馬が地方の交流戦を使って戻ってきたときなどに備えて、地方のレースについても結果を分析している。つまり地方馬のルール値を算出している訳で、それをそのまま利用すれば地方のレースを予想することも可能なのである。
  この「RATE BUSTER!」地方版は、さっそく大きな効果をあげた。地方競馬ではJRAほど予想に関して研究されておらず、またJRAに比べて圧倒的に馬券の売上げが少ないため、オッズの歪みが大きくなる。「本当は実力があって勝つ確率が高いのに、意外と人気の低い馬」というオイシイ馬が、中央のレース以上に多いのだ。
  ただし地方競馬にも欠点がある。馬券の売上げが少ないということは、大金をぶち込むとすぐにオッズが動いてしまうということ。勝率10%、単勝オッズが15倍という馬にドカンと賭けると、オッズが一気に10倍を割り込むこともありうる。これでは買うだけ損な馬券になってしまう。投資金額はホドホドにしなければならないのだ。
  そのことに注意しながら、私は毎日のように地方競馬を楽しんでいる。地方競馬の馬券もインターネットで買えるので、いまや日本全国のあらゆるレースが私の戦場である。
  もちろん、まだまだ「RATE BUSTER!」は中央版・地方版ともに改良の余地はあるだろう。地方競馬の馬券を買えるサイト「オッズパーク」では馬券コンテストが実施されていて、これに優勝したいとも思っている。
  私の挑戦は、果てなく続くのである。

 

おわりに

 馬券投資家として「競馬最強の法則WEB」上でデビューさせていただいてから、私の生活は大きく変わりました。それまで自分だけのものだった競馬予想は、自分の収支だけを左右するものではなくなってしまったのです。
  私の予想が当たればいいのですが、ハズれ続けると文句を言われる。そんな立場に立ってしまった訳です。しかしいまでは、予想してお金をいただく取る、予想を売る、ということは、そういうものなのだと思うようになりました。
  さらに地方競馬の予想も始まりって「毎日が競馬予想」という生活になりました。こうなると、もう自分の健康管理も個人的な問題ではなくなってしまいます。
  たとえ私が倒れても予想の配信が滞らないよう、会社組織を作りました。前職であるソフトウェア開発のノウハウを生かしてソフトウェア開発事業も始めました。
  馬券収支も含めてすべて順調で、若い頃には1万円しか入っていなかった財布にも、いまでは札束を入れて競馬場へ行けるようになりました。
  生活レベルもかなり高くなり、妻に渡せる生活費も増えました。ところが妻はあまり恩恵を感じていないようで、新婚当時の数倍にもなる生活費を渡しても、必ずこんな愚痴を言います。
「少ないね」
「社長なのに、たいしたことないね」
  さらに「こんどブランド物のバッグを買うから」などと言っては、10万円や20万円を私の財布から取って行きます。
  私が競馬必勝理論を完成させたことに敬意を抱いている様子は、いっさいうかがえません。それどころか私をバカにして、お金だけをむしり取っているという感じさえしてきました。
  しかし、妻がブランド物のバッグを持っている姿を見ることはありません。いつも手にしているのは新婚当時から使っているヨレヨレのバッグです。
  私はある日、少し怒った口調で「私から何度も10万、20万と持っていったお金は何に使ったのか」と問いただしました。妻は強情で、なかなか本当のことを言いません。
  私の詰問は、さらに厳しいものになります。ついにはその猛攻に屈して、ようやく妻は泣きながら話し始めました。
  妻は、私が馬券で破産する日が来ると思っていたのです。
  そうなると当然、予想家という仕事も廃業。信頼を失い、ソフトウェア開発事業も失敗。いつかすべてを失う日が絶対に来ると真剣に考えていたというのです。
  私の財布から持ってい行ったお金は、なんと、その日のためにすべて隠してあるとのことでした。私は黙って目を閉じ、妻を泣かせてまで無理やり聞き出したことを後悔しました。
  妻は競馬のことをまったく知りませんが、借金まみれだった私に、出会ってすぐあり金すべてを貸してくれました。あの日から二人三脚ですべてが始まり、妻の支援を得ながらここまで来て、ついに2冊目の競馬本を出すことができる発行できるまでになりました。
  いつまで世間に見捨てられずにいられるのか、どこまで予想家を続けられるのかは分かりません。ただ私を支援してくださっている方々に、とりわけ妻に感謝しながら筆を置きたいと思います。